2010/2011 SPECIAL JUMPING


WF/GF元年、モルギ盤石のシーズン、ビッグネームの引退がもたらすもの。

》あとで修正、加筆するかもしれません 17.06.2011《

2010/2011の全開催地のWFの比較 20.06.2011
今季は皆勤したモーゲンシュテルンのシーズンと言われる。WC全26戦中7勝。四分の一以上を勝っていて、2位と3位を入れた表彰台は16戦。表彰台に立てなかった方が少ない。総合2位のアマンも皆勤賞だがモルギに比べると3勝、2位、3位が7回だから、競っていたようでいて、実は大差の400点差、正確には393点もの差は頷ける。ただ独走かというと、破竹の6連勝があった07/08シーズンに比べたら、勢いというよりは円熟。マリシュは最後の最後でコフラーを抜いて総合3位に滑り込む。モルギ一人勝ちの印象は拭えないが、その一方で複数の勝者が出たシーズンでもある。モルギ7勝、シミィ、コフィ、シュリーリ、ストッフが3勝ずつ、コッホ、フロイントがそれぞれ2勝、マリシュとヒルデ、エヴェンセン、ラリントが1勝。この中でコッホ、ストッフ、エヴェンセン、フロイント、ラリントが初優勝。それらは棚ボタというよりは、満を持しての勝利。
2位アマンはバンクーバで二度目の二冠を達成し、怪我もあって、モチベーションにやや問題あり。「辞めるかも」というのは口だけではなく、実はあっさり辞めてしまうのではないかとも思った。シーズン中から辞めるかもしれないと言っていたアマン(SUI)とハウタマキ(FIN)。どちらも基本的には競技だけでは食べていけない国だ。賞金とスポンサー契約と連盟の支援。それだけで生活が成り立つのは、FINではアホネンぐらい。SUIもそうで、引退を決めたキュッテルは競技だけでは食べて行けていなかっただろうと言われている。フライホルツは引退後、スポンサーだった高級時計会社に就職した。だからひとかどの成績をすでに残したアマンが競技にケリをつけて先のことを考えるというのは自然なことだと思ったし、マッティが自分の才能と連盟の支援を天秤にかけて迷う気持ちもわかる。スイスはスポーツ選手に支援するお国柄ではない。テニスのフェデラーやフィギュアースケートのランビエール、自転車のカンチェラーラなど、スイスにも有名なスポーツ選手はいるが、そのほとんどは個人レベルで、国の支援がどうこうではない。そこがAUTとちがうところでもある。アマンはとりあえずは続けることになったようでよかった。彼がすごいなぁと思うのは、すっかり試合巧者になったこと。取りこぼさないし、勝てるときにはきっちり勝つ。まぁ、現役続行することになったようで、よかったですね。
さて、では、メモからシーズンをざっと振り返ってみる。

開幕を団体戦にするメリットって何なんだろう?と思う。いつからだっけ?と調べる。たぶん'07年。団体戦てそれなりに魅力はあると思うが、選手は連帯責任というのはプレッシャーじゃないんだろうか。ま、いいけど。で、日本3位表彰台。大貴クンのGP総合優勝もあり、なんとなく期待はさせるものの...1位のAUTとはGFもあって100点以上の差なのだ。個人開幕戦はコフラーがモルギを抑えて勝つ。アホネンは予選落ち、それもポイントが足りなくてではなく、赤信号でスタートしたから。FIS、空気読めなすぎだろ。オッリはカメラに中指を立てて失格。ああ、フィンランド、地元で前途多難。

しかし次のクオピオではラリントとM.ハウタマキの1・2フィニッシュ。

リレハンメルではモルギが連勝。

ハラホフ、今季も中止。デフォルトか。まぁ、この時期に雪があるかは地球温暖化の昨今、微妙ではある。シュリーレンツァウアー、ゼーフェルトでトレーニング中、着地で転倒。また右膝内靱帯断裂。全治4週間。万事休すか?!

ハラホフの中止をはさんでモルギの連勝が続くエンゲルベルク。インタビューでの声はもちろん明るいものの、すごく疲れた顔をしているモルギ。クリスマス、ゆっくり休んでねと思う。ハラホフの1試合を肩代わりしたエンゲルベルクだが、それは雪があったから。雪がなければすべてを人工雪で整備して大会をやる資金はないと数年前言っていた。

ところでモルギは4HTを前にシーズン7勝のうちすで6勝をに挙げている。彼が開幕から好調だったのはまちがいないが、今季はWMが遅めだったのと、開催地がオスロで、ノルディックトーナメントが変則的で、WM後のWC総合で追い上げられる試合が少なく、スロースターターには、時すでに遅しの感があった。

4HT。OSVはシュリーリのオーバーシュトドルフ、パルテンキルヒェン欠場を(わざわざ)発表。ってことは裏を返せばインスから出るってことだよね...。モルギ、オーベでまず1勝、それも大差で。WCポイントではなく得点の合計で争われる4HTではすでにかなり有利に。2戦目GAP。悪天候で1本で終了。現役続行のモチベーション、最後の目標として4HT総合優勝を挙げているアマン。今季初勝利。「イレギュラーな条件は得意なんだよね」モルギ14位で4HT総合が30点差から15点差に。好調ラリント、HSを飛んでテレマークを入れようとして転倒。前十字靱帯と半月板の損傷。全治6カ月=今季絶望。インスブルック。シュリーリ、やっぱり復帰。20日足らずで。優勝はモルギ。アマン4位。ビショッフスホーフェン。日本勢は国内戦出場のために帰国。ヒルデが3季ぶりに勝つもモルギ2位で4HT総合優勝。

ハラホフのフライングでコッホ、やっとWC初優勝。

いつもみんな来ないけどいつも実は総合で鍵を握る札幌。それを踏まえてか上位3位が来札。オマケにいつもは来ないマリシュまで。あとから思えばそれが引退の兆候だったのかも。「短い板は徐々に扱えるようになってきている」と記者会見で言っていたから、まさか辞めるとは思わなかった。むしろ、これからなんだと思ったのに。ドイツの伏兵フロイント、優勝。

ザコパネ。マリシュ、4年ぶりに勝つ。札幌で勝ちそうで。でも地元にとっておいてよかった。ハラホフの残り1戦分はここが引き受ける。やれば入るザコパネだから追加が出てチケットは即完売だったという。その追加の3戦目。こんな劇的なことがあっていいのか。マリシュ1本目転倒、病院直行。その代償か、ストッフ初勝利。

ドイツが10万ユーロの賞金を出すチームツアー。3カ所の開催地で個人戦×3+団体戦×2=全5戦。初戦、ヴィリンゲンの団体戦ではGERチーム、2位に。ウアマン、シュミット、ノイマイヤー、フロイント。実利的にアンカーを入れ替えた。そして新エースが臆せず期待に応える。翌日の個人戦では優勝。クリンゲンタールではストッフが2勝目。ウアマン、勝ちを逃す。オーバーシュトドルフのフライング。コッホ、2勝目。TVで表彰台のコッホを見て感激のあまり涙が止まらなかった。シュレーレンツァウアー、驚きの3位表彰台。

ヴィケシュンのフライング。あ、フライング続くんだ。札幌WCに来たNORのジャッジが「250m飛べるよ!」と豪語していた。しかしヴィケシュンは何もない街だとも...。改修してHS225に。エヴェンセン、公式練習1本目でルメレンの持つ世界最長不倒記録239.0mを上回る243.0mを飛ぶ。予選では246.0mを飛び、さらに自己記録を更新。その勢いで本戦で優勝。シュリーリと同点首位で、シュリーリは翌日も勝った。えっと、怪我したんでしたよね...? モルギ、3戦残して2位のアマンに387点の差をつけ、WC総合優勝を決める。ちなみにエヴェンセンとは'07宮様でノーマルラージ二冠を達成したあのエヴェンセン。

オスロ世界選手権。霧でしたね。1本で終わったりしましたね。札幌は天気がよくてよかったな、と遠い目...。

ラハティ。アマン、意地の優勝。

プラニッツァ。1戦目、AUTの表彰台独占。団体戦ももちろんAUT。AUTは今季の団体戦全勝。最終戦はストッフ。

FINはよくないアホネン、ラリントの怪我、オッリ失格→除名→札幌→引退と、最悪のイメージだが、マッティ・ハウタマキはけっこう健闘していた。勝てなかったものの、表彰台3回。総合ではずっと一桁で一時は3位だった。最終的にはWC総合8位に終わったが、マッティはがんばっていました。オッリは大学に入ったそうで、1つのことを職人のように根を詰めてやるタイプではないのかもしれない。ラリントはトレーニングを再開したそうだ。
ちなみにWMのあとのWC数:'05オーバーシュトドルフ大会(2/16〜27)残り 6戦。'07年札幌大会(2/22〜3/4)残り8戦。'09リベレツ大会(2/18〜3/1)残り6戦。今季オスロ大会は2/22〜3/6で残りは3戦だった。
マルティン・コッホ:やっと勝てた、それもフライングで。やっとだ。もう29か...。コッホのことはよく知っているつもり。苦労人、という感じじゃないけど、努力をしているのも見ている。育ちも。環境的なプレッシャーもあっただろうし、勝ってるだろうとも思われていて。これで自由になれるというか、解放される。やっとスタートライン。あ、そうそう、ヘルメットの日の丸、ありがとね。
カミール・ストッフ:サマーGPでもCOC(7戦6勝)でも絶好調。POL全体が好調で打倒AUT宣言も。これまで予選トップにはなるもののなかなか勝つには至らなかった。夏に結婚し、WCはやや出遅れたが、やっと結実した。
セヴェリン・フロイント:GERはウアマンが引退、シュミットも来季で最後みたいだし、フロイントが出てきてよかった。今季、エンゲルで6位、オーベで8位とときどきはいいが、ときどき悪すぎると。コーチも勝てるとは思ってなかった。そして一度結び目がほどけると結果が付いてくる。2勝目はヴィリンゲン。自国で最後に飛ぶ。震えるほどの緊張、震えるほどの喜び、そして勝利。フロイントは一生忘れないだろうな、こんな瞬間があったことを。きっといい選手になると思う。
夏に試験的に導入されたゲートファクター(GF)ウィンドファクター(WF)がWCに導入された。それによってキャンセルされずに済んだ場面は何度かあったが、「飛ばせすぎたら替えればいい」とGFに頼りすぎたところもあったのでは。ゲートが下がってゲート点をもらい、なお向かい風で距離も出る...。逆に追い風で加点されてもそれは向かい風の距離点に匹敵しない。何十点も減点され、「どこがそんなに風、吹いてたのさ? 」と首をひねる選手。WFは5カ所で計測し、その平均値を取っているが、例えば全体的には向かい風だとしても、どこか決定的なところが追っていれば、風速の平均値は向かい風で減点され、距離は出ないということになる。ともあれ、これで決定的にキャンセルが減ったのだから、興行的にこれがなくなるということは考えにくいし、数字は再考されても、システムとしては定着していくのだろう。
こんなの作ってみました→2010/2011の全開催地のWFの比較
NORは地元WMで勝てなかったけどメダルを獲れてよかった。ヤコブセンは、引退、ではないけれど、来季はやらないと。コヨンコスキも去るし、新しいNORチームはいかに。けっこういい選手、いっぱいいるしな〜。
日本はこれ以上クオータ(今、5)を増やす必要はないと思っているんだろうね、上が。だからコンチにも派遣しない(できない)し、派遣して成果を上げてワールドに上がれても、お金ないよ、と。大貴クンは夏を思うともっとやれたのかなと残念だけど、モルギと同い年で、以前言われたチームの高齢化も葛西クンを除けばみんな20代で、成績的にもAUT以外には対抗できないわけではない。ただ勝ちたい。ミッションとして大倉で勝つというのはどうだろう。っていうか、少なくとも、地元戦のときが一番疲れている、とかはなしにしましょうよ。
引退がもたらすもの
ペテルカ、キュッテル、ウアマン、アホネン、マリシュ。彼らの引退をBerkutschは一時代の終わり、と書いた。確かに。

ペテルカ(79年生まれ)といえば船木選手と総合争いをし、最終戦で葛西選手が勝って、船木選手が首位を逃したことが日本人には印象的だ。96/97、97/98と総合二連覇を果たしたペテルカが最後に勝ったのは'03年で、その年、'98年以来のWC総合一桁順位。その後は低迷。WC通算15勝。引退後はコーチに。

キュッテル(79年生まれ)はアマンよりブレイクが早く−優勝はアマンの方が早いが−05/06は総合3位。1本で決まったとはいえリベレッツLHの金メダリスト。選手会長なんかもしていて、WC上位30人に賞金を、というのを選手の総意で決めたのは彼。WC通算5勝。

ウアマン(78年生まれ)はシュミットと同期で、96年には18歳で世界ジュニアで金メダル(ちなみにこのときの銀メダルがペテルカで銅がキュッテル)。その後、低迷するが、99/00からはドイツの主力メンバー。初優勝は04年ザコパネ。WC総合順位が一番よかったのは05/05で8位。トリノ五輪NHでは2本目、最長不倒を飛んだのに、わずか0.5点差でメダルを逃す。日本人にとって苦い思い出は札幌WMの公式練習で彼が転んでしまったこと。おそらくそれまでのキャリアの中で最も好調だったはず。ドイツは団体戦をホッケ、ボーグナー、リッツァーフェルト、シュミットで臨み、辛うじて2本目に進み、8位に終わっている。ウリはこのとき紛れもないドイツのエースだったし、ドイツで唯一の希望の星だったのに。そして今季だって悪くなかったのだ。クリンゲンタールでは1本目バッケンレコードを飛びトップに立ったのに結果は13位。オスロWM団体戦では0.7点差で4位。こうやって書き出すと「Mr.ついてない人」だ。引退後はCチームのアシスタントコーチ。WC通算2勝。

こんなはずじゃなかったアホネン(77年生まれ)。GAPの5位が最高で、最終的にはWC総合44位だった。復帰して2シーズン。最初のシーズンで準備を、そして2季目の今季でトップフォームにという計画は叶わなかった。トップとはトップ10とかではなく、勝つことであったり、6度目の4HT総合だったりするのだろう。予選落ちやポイントの獲れない日々。焦りと自信喪失で負のスパイラル。トップで辞めるというのが彼の美学であり、それで2年前、引退したわけだが。辞めてみて、すこぶる体調がいい。そりゃあ悪くても治る前に次に行かなければならなかった現役時代とはちがうはず。久しぶりに何かに追いまくられない暮らし。非常にフレッシュで「やれる」感じがするのも当然だ。復帰がまちがっていたとは思わない。格好悪いアホネンもいいかなぁと思う。これまで経験したことのないようなバンクーバでの大怪我が彼にとっては大きかったと思うし、まさにトレンドが変わったのかもしれない。引退後はナショナルチームの手伝いをするらしい。エクイップメント担当とか。WC通算36勝。

マリシュ(77年生まれ)何度も落ちてはルール変更に合わせて自分を変えて這い上がってきた。WC連覇のころはタイナーコーチだったと思うのだが、低迷後、復活させるために連盟はあらゆる手を尽くしてきたことと思う。ホルンガッハー、クッティンとコーチを替え続けた。それでも効果が出ず、マリシュはもう終わったとも言われた。レピストさんは名コーチだがAUTのときはモルギとヘルヴァルトしか成果が出なかった。アダムのパーソナルコーチだが(ん?と追いうことがアダム個人が雇ってた?)チームとの連携がうまくいっているとコーチが言っていた。まさにマリシュに掛けたその副産物といおうか、波及効果でチーム全体が上向き。マリシュ以外にも勝てる選手が育った。最後の年に勝ったのはマリシュのみ。ダカールラリーに出る。ソチ五輪の親善大使。WC29勝。

WC総合優勝者と五輪/WMの金メダリストを並べてみた。ヤンダは今季までともいわれているし、シュミットは2011/2012までしか考えていないとか。そうなると本当に総入れ替えだ。

WC総合優勝
WM/OWG
NH
LH
96/97 ペテルカ アホネン 原田雅彦
97/98 ペテルカ ソイニネン 船木和善
98/99 146% シュミット 船木和善 シュミット
99/00 シュミット
00/01 マリシュ マリシュ シュミット
01/02 マリシュ アマン アマン
02/03 マリシュ マリシュ マリシュ
03/04 アホネン
04/05 BMI アホネン アホネン ベンコビッチ
05/06 ヤンダ ビストール モーゲンシュテルン
06/07 マリシュ マリシュ アマン
07/08 モーゲンシュテルン
08/09 シュリーレンツァウアー ロイツル キュッテル
09/10 ビンディング アマン アマン アマン
10/11 BMI20.5 モーゲンシュテルン モーゲンシュテルン シュリーレンツァウアー

COCから
クラニエッツ(SLO)は連盟の支援が例えばGERに比べて少ないことを嘆いていた。スーツがシュミットは20着、ボク3着、みたいなことを言っていたけど彼はWC総合でシュミットよりも上位。シュミット並みの支援を受けられればもっと上に行けるのにということが言いたいの?
COCを見るとSLOの本気具合が見える。COCランキング10位以内に4人、15に広げると5人。AUTは10位以内に2人、GER3人。総合優勝したズィマは1勝もしていない。全29戦中25戦に出場。出場した全試合でポイントを取っている。4位になったユデツも同じく25戦に出場。15位以内に入っている5人全員が20戦前後、出場している。COCで腰を据えて戦わせる。中央ヨーロッパだからできることではあるが。このCOCの結果でBチームのコーチだったヤヌスは今季、Aチームのヘッドに就任した。コーチの功績と言うよりどちらかというと連盟の方針だと思うが、それともチームの方針はコーチが決められるのか(それって普通ですか?)気持ちよく戦える場所で気持ちよく戦って自信にもなる。6/17現在、クラニエッツたちは連盟から支払われるべきものをもらってないのだそうだ。そこでそれが支払われるまで、スポンサーのロゴの入ったウエアを着ないと決めたのだそうだ。SLO、そんなにお金がないようには見えないのだが、どうなることやら...。

ロヴァニエミの開幕戦に日本人が参戦したときには、今季は!!と思ったのだが、その後、派遣はすっかりなくなった。ひとえに、経済的な問題だと思われる。日本でコンチトップなのは船木選手。3戦しか出ていないのであまり意味はないが。船木さんはベテランだし、一角の成績を挙げた選手なので、戦い方にしても何にしても人に教えられるくらいよくわかっているわけだが、ほかのコンチレベルの選手をちゃんと海外のコンチに出してあげたいと思うのだ。

しかし、気持ち的に大変重いのは、やっぱり震災で...被災者をスポーツで勇気づけられれば、というのはすばらしいし、できると思うし、それを通じて何らかのお手伝いができればしたいと思う。でも、きっと、予算面では前よりずっと厳しくなるんだろうなあと思うのだ。