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−ヤンネ・アホネンは2009/2010シーズン、カムバックする−




翼をたたんだイーグル
15シーズン、世界のトップに居続けたヤンネ・アホネンが、07/08シーズンを最後に現役生活にピリオドを打つ。ジャンプ週間で5度目の総合優勝、WC総合3位、そしてシーズン最後の国内戦でフィンランドチャンピオン。ほぼ完璧な終わり。

ある日、ピアスをやめたように。ある日、マスクをやめたように。ある日突然、ジャンパーであることも、もういいかなって、やめてしまうのね。それを口に出すのは、考えていたよりずっと辛くて、人前で思わず涙した。その涙が、千の言葉よりも雄弁に物語っている。競技意欲の低下などではない。もちろん、燃え尽きたりは、していない。

引退の声明文から--ヤンネ・アホネン公式HPに全文が掲載されている。

長い間、キャリアの終わりについては心の中にあった。シーズンが終わって決断するのは簡単ではなかったかというと、そんなことはいつだって簡単ではない。
戦うモチベーションは失ってはいない。しかし成功するために必要な自己犠牲とトレーニングへのモチベーションは、試合を続けていくにはもう充分なレベルにない。
スポーツは人生の重要な部分を占めてきたし、これからもそうだろう。しかし、人生にはスポーツ以外のこともある。引退することで、より多くをそれに傾けられるようになる。それは主には家族である。

--涙--

目頭を押さえるヤンネ。ここぞとばかりに容赦なくたかれるストロボ。無数のシャッター音。鬼の目ならぬ、"アイスマンの目に涙"--明日の新聞の見出しが目に浮かぶ。--それ、安易ですから、安直すぎる...。

多くのトップアスリートたちは、一番高いところに到達したときに退きたいと願う。私も頂点で辞めたいと考えてきた。そして今、頂点にかなり近づいたのではないか。ジャンプ週間で5度目の総合優勝を果たして思った。「6回も勝たなくたっていいじゃないか」

その後、声明は家族、コーチ、仲間、関係者への感謝の弁が続く。

ストイックという言葉が彼にはしっくり来る。
アスリートである限り、いろいろなことを我慢しなければならない。食べるのも、飲むのも、遊ぶのも。何のためにそんな辛いことをしているのか。勝つためだ。そのプライオリティが替わったら。勝つための厳しいトレーニングをする意欲がなくなった今、参戦を続けて、それで成功できるほどWCは甘くはない。もちろん勝つことがすべてではないし、それだけに価値があるわけでもない。でも、例えばトップ10以内なんて、明らかにヤンネ・アホネンの目標ではないだろう。
勝ちに行かないアホネンなんて、アホネンじゃない。

アホネンは真面目で完璧主義だから、ジャンプをやっている限りは四六時中、ジャンプのことを考えているとコーチが言っていた。家族ができて心の拠り所を得たり、オフにドラッグレースに出たり、ヤリ・マンティラと興したUVEXの輸入代理店もうまくいっていて、最近はジャンプ一筋のプレッシャーはある程度、軽減されていただろうが、もう、自分を解放してもいいころかもしれない。

最強にして、最高のジャンパー、ヤンネ・アホネン。

次に会うときはコーチかジャッジかTDか。それとも、RDとか、なっちゃう?!



生涯成績

WC総合ランキング
WC
総合
順位
表彰台回数
4HT
順位
1位
2位
3位
07/08 13
4
3
2
1
06/07
18
8
05/06
12
2
5
2
1
04/05
11
12
3
1
03/04
11
3
5
5
5
02/03
14
2
1
1
01/02
15
2
26
00/01
15
4
2
2
99/00
13
2
8
5
2
98/99
12
6
7
1
97/98
19
1
2
4
3
96/97
18
18
95/96
13
2
2
2
6
94/95
13
1
2
3
3
93/94 10
1
92/93 50
39
通算
36勝
42回
27回
5勝

・WC 344 戦
・通算 36勝
・WC 総合優勝 2回
・表彰台 105 回

・WCデビューは15歳、92年ルーポルディング(56位)
・WC初優勝は翌93年エンゲルベルク
・最後の優勝は苦手なクオピオでの初勝利
・エンゲルベルクで5勝(2位×3、3位×3)
・ハラホフ(LH)で4勝

・ビショッフスホーフェンで3勝
・04/05の1シーズン12勝は世界記録
6連勝は世界タイ記録
・ジャンプ週間総合優勝5回は世界記録
・ジャンプ週間での表彰台が多いことを改めて確認

以下に記す







ジャンプ週間での表彰台 36回/105回
1位
2位
3位
Bischofshofen×3(08×2, 06)
Oberstdorf×2(05, 04)
G.Partenkirchen×2(05,95)
Innsbruck×2(05,03)
Bischofshofen×4(05,01,00,99)
G.Partenkirchen×3(08,06,99)
Innsbruck×2(01,99)
Innsbruck×3(04,00,98)
Oberstdorf×2(07,02)
Bischofshofen×2(04.98)
G.Partenkirchen×1(00)
9回
9回
8回
1つの台で1番多く勝っているのはエンゲルベルクだが、通算36勝中、四分の一の9勝をジャンプ週間で挙げている。1週間に4戦が行われるジャンプ週間は五輪やWMのようなものだ。5回も総合優勝しているアホネンは金メダルをいくつも獲っているようなものではないか。
興味深いのは、優勝候補として臨むと、内外からのプレッシャーで勝ちにくということだ。
アホネンはジャンプ週間総合優勝したシーズンにジャンプ週間前に1位だったことは、8戦中7勝していた04/05を除いて、
ない。07/08のモーゲンシュテルンは7戦中6勝してオーバーシュトドルフに入り、オーバーシュトドルフでも勝ったが、ジャンプ週間総合は獲れなかった。01/02、マリシュは6勝もしていたのに、ハナヴァルトの4戦全勝で終わる。そして98/99、シュミット断然有利の中、アホネンが1勝もしないで勝った。

Review 過去10年を振り返る。
07/08:30歳。5度目のジャンプ週間総合優勝。引退決意。5月には第二子誕生。
06/07:なぜこのシーズンで辞めなかったのか。WMメダルなし、総合8位では終わりたくなかった?
05/06:トリノで最後の五輪と感じる。この辺りから引退を意識し始めたか。
04/05:開幕6連勝、12勝で総合連勝を果たす。
03/04:26歳。総合初優勝。表彰台13回。トップ10を外したのは4回、15位以下は1回のみ。
02/03:マスクをやめる。家を建てる。
01/02:長男誕生。ソルトレイク五輪、団体戦。0.1点差で金を逃す。不調の原因は腰痛だった。
00/01:おそらくタトゥを入れたのはこの年。GPで5勝。地元ラハティWM。金は獲れず。
99/00:シュミット、ヴィドヘルツルとともに三強と称され、3人のうち誰かが勝っていた。
98/99:シュミット台頭。2人で総合争いをする。
97/98:20歳。


大イベントの成績
オリンピック
LH
NH
団体LH
団体NH
2006トリノ 9位 6位
2002ソルトレイクシティ 9位 4位
1998長野 37位
4位
5位
1994リレハンメル 37位 25位 5位
世界選手権 WM
2007札幌 6位 14位 4位
2005オーバーシュトドルフ
4位
2003ヴァルディフィエンメ 35位
DNS
2001ラハティ
7位
1999ラムザウ 4位 4位
4位
1997トロンハイム 8位
1995サンダーベイ 9位 9位
1993ファルン 31位
DNS
6位
ジュニア世界選手権 JWM
1994ブライテンヴァンク
1993ハラホフ
フライング世界選手権
個人
団体
2008オーバーシュトドルフ
2006クルム
8位
2004プラニッツァ
2002ハラホフ 24位
2000ヴィケルスン
1998オーバーシュトドルフ
1996バートミッテルンドルフ
1994プラニッツァ 12位


IN JAPAN
札幌
白馬
2004 WC 2+3位 WC 2位
2003 WC 8+11位 WC 6位
2001 WC 9+10位 WC 6位
2000 GP 2+1位 GP 2+1位
2000 WC 2+6位 WC 4+T1位
1999 WC 8+7位
1998 WC 3位
1997 WC N5+6位 WC 6位
1996 WC N15+16位
1995 WC N2+3位

・2000年の白馬の2戦目は団体戦。
・95年から97年、2戦中1戦はNH(宮の森)。
・日本での最後の試合は2007年、札幌の世界選手権。
・白馬、札幌ともにサマーグランプリで1勝ずつ。









生涯獲得賞金
07/08 1236,800 13位
06/07 1125,000 16位
05/06 1158,750 12位
04/05 1335,500 11位
03/04 1211,340 12位
02/03 1113,835 14位
01/02 1121,800 14位
合計
1,103,025

通貨の単位はCHF(スイスフラン)。
FISのHPには01/02までしかデータがなく、あるものだけを合計した。もちろんその前も賞金はあった、額は今ほど多くないが。
08年4月7日のレートで換算すると日本円にして112,508,550(1億1千250万8千550円)。
このほかに何千万単位/年のスポンサー収入があるはず。
右の順位は賞金ランキング。WCランキングとは異なる。
ちなみにWCの1位賞金は3万フラン。

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Qual インタビュー 2006年5月12日付
FINのジャンプスーツメーカーQualのHPにアホネンのインタビューが掲載されている(www.qual/fi/)。話題はエクィップメントの結果に占める割合、Qualとの共同開発、バンクーバー五輪、昨季で一番のジャンプ、マスコミ嫌い、トレーニング、世界選手権の開催地札幌、自分の会社についてなど。その中で興味深いところを掘り下げてみました。なお、インタビューは英語です。

−バンクバー五輪出場はビミョー。WC総合で7季連続トップ3に入っているヤンネも来年30歳。今までは続けるかどうかなんて考えたことなかったけど、さすがにトリノでは初めて考えたそうだ。

−元複合選手のマンティラと興した会社Radiusは、UVEXのバイク用のヘルメットやゴーグルを扱う会社。フィンランドには輸入代理店がなかったそうで、ドイツから輸入して儲かってるらしい。

宮の森の結果
シーズン
ヤンネ
優勝者
1995 2位 ゴルトベルガー
1996 15位 ヴァイスフローク
1997 4位 マリシュ
−WM開催地、札幌について。
「いい思い出も、悪い思い出も両方ある。うまくいったこともあるし、うまくいかなかったこともある。ラージヒルはかなり平均的で、可もなく不可もなく、まぁ、まぁまぁかな、好きじゃないけど。実はノーマルヒルはもう何年も飛んでなくて、そこでWCがあったことさえ覚えてない。もう10年ぐらい経つんじゃない?」
ヤンネ、初めて宮の森で飛んだのは17歳のとき。覚えてないって言ってるけど96mの最長不倒を飛んで2位だった、1位なら覚えてるんだろうけどね。神童と呼ばれたころですね。最後に宮の森でWCがあったのは97年。それ以降は大倉山開催。そう約10年前です。で、そのとき勝ってるのがなんと(ブレイク前の)マリシュ。もう宮の森を飛んだことがない選手の方が多いのかもしれない。どっちみちプロフィールは変わっているけれど。

05/06 オリンピックシーズンを終えて
--プラニッツァでの最終戦を終えて、シーズンに対するのコメント要約を載せておきます--
「2位はいいことだと思う。ボクより前にWC総合で7回表彰台に立った選手がいるかどうかわからない。今季はハードだった。とくにあまりうまくいかなかったオリンピックからプラニッツァまでは。プラニッツァではまた楽しめたし、最後には本当にいいフライトができた。来季はもっと強くなって戻ってくることを約束するよ。これから国内戦があって、それからラップランドで1週間の休暇。夏の間はドラッグレースに出たい。サマーGPはたぶん1つか2つになるだろう」
これを読んだとき、頼もしいと思うと同時に来季で最後? とふと思った。今までこんなこと言ったことあった? Qualのインタビューでも来季続けるのは確実だけど、あとは終わってから考えるというような発言もある。


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フィンランド人と車の関係--ドラッグレース講座 
Flying Finnと言うと本当に飛んでいるスキージャンパーのことではなくて、ふつうは飛ぶように速いフィンランドのドライバーのことを指す。F1のハッキネンやライッコネンしかり、ラリーのマキネンやグロンホルムしかり...。
夫が毎月購読している車の雑誌『NAVI』の10月号に「フライング・フィンの運転力。フィンランド人の運転が上手な理由、あるいは空中で車の向きを変える方法について」という記事が載っている。ユヴァスキュラ(ユッシライネンのところ)の公道で行われたワールドラリー選手権を通して、フィンランド人の運転について書かれている。

なぜ車が空を飛ぶのか?フィンランドのラリーコースはアップダウンが激しく、道はダートだが相当硬く、タイヤが接地する時間が短いから飛んでいるように見える。着地の直前に瞬時に車の速度や姿勢を予測し、接地直後にハンドルを切っているから、空中で向きを変えているように見える。超能力でもない限り空中で向きを変えるのなんて不可能だと。

しかしレース以外でフィンランドの街で車が速いかというとそうでもない...。フィンランド観光局のHP、Finnland This Weekにも載っていたが、フィンランドではスピード違反の罰金が年収によって計算される。IT長者のヤーッコ・リュツォラ氏の愛車はフェラーリ。ヘルシンキ市街で信号が変わった瞬間、隣の車に負けまいと"F1"スタートした彼。そこをパトカーに目撃され、捕まる。罰金は始め800マルカ(1マルカ=約18円)のはずだった。ところが彼の前年の年収は2600万マルカ。罰金は100,310マルカ(約180万円)にもなった。ちょっとF1ドライバーを気取るとこうなるわけだ。『NAVI』にはノキアの副社長が30km/hオーバーで1300万円の罰金を払ったという話が載っている。まぁ、だから、見えるところでは飛ばさないと...。でも、市街地を抜け横道にはいるとそこは例のダート。そういうところでフィンランド人は技術を磨いているのだと。

『NAVI』10月号にはヘルシンキから帯広まで車でやって来たアーティストの話も載っている。「だってフィンランドと日本の間にはロシアしか国がないんだよ」って...。まぁ、ヘルシンキ-千歳をフィンエアが飛んでてもいいかなと思う。ほぼ直線でしょ。ヨーロッパから帰ってくるとき北海道上空を通過する。ここで落として...っていつも思う。だって成田-千歳はあまり便がないから、羽田を経由するのホント疲れるんです...。

さて本題へ...。プライベートではBMWのM5に乗り、KawasakiのZXを操るヤンネ・アホネンが、この夏、ドラッグレースに参戦した。もともと車好きの彼はまさに典型的フィンランド人なのだろう。ヤンネがドライバーとして所属するチーム、イーグルレーシングとしては、ヤンネの力も買っているし、何より人寄せパンダになる...マッチ(ハウタマキではない、近藤真彦)のように。

Photo:Heikki "Heineken" Malinen
ドラッグレース:元々はアメリカのストリートで車好きが1マイル(402.33m)の速さを競い合っていた。いわゆるゼロヨンというヤツ...。それが人気を得て競技にまでなった。
タイムトライアル競技で、停止状態からゴールまでの所要時間Elapsed time(Et)と通過速度を競う、通常は2台による対決方式で争われる(ドッグファイトというらしい)。スタートのタイミングが一番大事で、それはスキージャンプにも通じるところがあるとヤンネはインタビューで語っている。
ヤンネが出場しているのはCompetition Eleminatorというカテゴリー。試合結果はFHRA(Finnish Hot Rod Association)のHPで見られる。まずタイムトライアルをする。その先はトーナメント方式。Etが所要時間で、Rtがリアクションタイム。シグナルが緑になってからスタートするまでの反応時間のことだ。シグナルは黄色から緑になるのだが、人間が反応するには0.4秒は必要とされていて、Rtがそれより速いとフライング扱いになり、ペナルティが科せられる。
ヤンネの最高成績はフィンランド選手権の初戦(5/31〜6/1)の優勝。その後、3戦している。第2戦(7/4〜6)はヨーロッパ選手権も兼ねていた。ヤンネは第2ヒートで敗退しているが、RtとEtの関係がよくわかる。第1ヒートではヤンネはEtでは負けているがRtがよくて勝ち抜けている。第2ヒートでは逆にEtでは勝っているのにRtで負けている。第3戦(7/19〜20)は僅差で第2ヒートで負け。第4戦(8/16〜17)はヤンネにとって最後の試合。第3ヒートで破れている。Rtに-がある。これがペナルティなんでしょう。タイムではわずかに勝っていたのにね。8/29のフィンランド選手権の最終戦には参加していない。29日がプレダッツォ、30日インスブルックでGPだから...。
それでも総合では2244点で3位に入った。ちなみに1位がミカ・エロランタ(2545点)、2位は同じイーグルレーシングのアンティ・ホルト(2537点)。
コーチのニクネンもsuomijumpers.comで語っているが、ドラッグレースに参戦したためにこの夏はちょっと忙しくなってしまったのだそう。来期の参戦はあるのかな?
参考:FHRA Eagle Racing ツインリンクもてぎ

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02/03アホネン最新情報
マスク:
「マスクはもうしない。若いころは顔は見せない方がカッコいいって思ってた。でも今はもう若くもないし、ルックスは気にならなくなった」ヴァンターで開かれたシーズン開幕に向けたチームの記者会見で、アホネンは7年間していたというマスクをこの夏からするのをやめたのだと語った。夏だけのただの気まぐれかと思ったが、やめてしまったんですね。

夢:ユヴァスキュラのK100の台。コーチの目の前で110mジャンプを何本も決める夢。今まで、そんな夢を見たことはなかったと言う。ゲートは一番下。夢の中でとても興奮して、とても満足だっだ。この夢には続きがあって、ユッシライネンが同じ台、同じゲートで120mジャンプをする、それも完璧なテレマークで...。いい夢なのか、悪い夢なのか...。

家:ラハティのカルユサーリというところに340qmの新居を建設中だ。図面を引いたのは設計士だけど、スケッチは自分でした。1月か2月ごろには完成の予定だそうだ。ヴィドヘルツルといい、ジャンパーってそんなに儲かるの?!

腰:去年はテイクオフで右にずれ、フライト中、バランスが取れなかった。腰と骨盤が回転して、コントロールできないという。最初、身体には異常は見られないという診断だった。スタートにつく。またバランスが取れないのではないかと不安で仕方なかったらしい。完全に自信喪失。しかしこれは彼のテクニックの問題ではなくて、脊椎に問題があったのだそうだ。その問題を取り除いたら直った。シーズン開幕を前に完璧に仕上げられた体には1gたりとも無駄な肉はついていない。頬までこけている。「年を取っただけ」と彼は笑い飛ばす。今シーズンは期待できるかも...。
〈11/1発行 Helsingin Sanomat International Edition〉



ヤンネ・アホネンの微笑み
初めてヤンネ・アホネンに会ったのは98年の1月。長野オリンピック直前の札幌のWCの時だった。
選手たちは長野行きの荷物をコンテナに積むためにロビーに集まっていた。荷物出しはチームのアルファベット順で、そのとき、そこにはフィンランド(F)とドイツ(G)がいた。あのころはまだ選手を識別するのに苦労していた。
もちろんアホネンのことは知っていた。が、彼らはウエアを脱ぎ、ヘルメットを取ってしまうと普通の男の子で、ホントに別人にさえ見える...。オーラも消える。テレビの中の、シャンツェのあの選手が、このヒト、と認識するのは簡単ではない。

そのときソイニネンが言った。

「ヤンネ!」
「ン?」

と言って振り向いた、端整な顔立ちのごくふつうの男子、それがヤンネ・アホネンだった。

このときのフィンランドのメンバーはアリペッカ・ニッコラ、ミカ・ライティネン、ヤニ・ソイニネン、キンモ・サボライネン、そしてヤンネ・アホネン。長野のノーマルヒルでソイニネンが金メダル。キャリアも長く、まるでベテラン選手のような感のあったアホネン(名前をよく聞いていたからカナ)の実物に初めて会い、とても若い選手だと実感したシーズンだった。


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翌99年。マルティン・シュミットとアホネンが総合優勝を争ったシーズン。
ブレイクしたシュミットには平然とした強さがあったが、札幌に来た時点では、2人の差はあまりに開いていた。総合ではアホネン有利と言われていた。シュミット本人もインタビューでそう語っていた。結果はちがったのだが。
この年、濃霧でFINチームの日本到着が遅れるというハプニングもあり、ヤンネはとにかくタフなヒトという印象。札幌の前にポーランドのザコパネで大会があった。ほとんどのチームは一度帰国して日本へ旅立ったが、FINチームはポーランドに一泊し、日本へ入る予定だった。ところが霧で飛行機が飛ばない。25時間も空港に缶詰の後(飛ぶかもしれないから待っていた)、陸路でコペンハーゲンへ向かい、そこから日本へ。到着したのは試合前日の夕方。
  
  "It was first time in my ski life..."

会見でそう言って笑ったとか笑わなかったとか...。お疲れの彼は札幌で表彰台にこそ上がれなかったが、それでもしっかりとシングルの成績を残す。コーチから試技の前に1本練習したいという要望があり、ジュリーはそれを許可したが、結局、練習ジャンプはしないまま、ぶっつけ本番。
そういえばこのときでさえ彼は不機嫌ではなかった。--そう機嫌が悪いから笑わないのではないのだ。


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00年。冬なのにTシャツ!
"Everybody say cheese"と言って撮った写真。
シュミット、アホネン、ヴィドヘルツル。三強の争いと言われた99/00シーズン。
この年からFINのヘッドコーチがミカ・コヨンコスキーに。チーム全体の底上げを計る。成績アップのせいか、FIN選手の印象も濃くなる。それとももう3度目だからか。
ヤンネは赤いスーツと板。ヘルメットとフェイスマスクと靴は黄色。そ
してWCリーダーのイエロービブなら、完璧なコーディネートなわけね...。
しかし札幌ではマルティンの二連勝。天候も悪く、ジャッジタワーではコンピュータートラブルなどあり(電気系統がすべてアウト。練習のスタート合図は手信号でした)そりゃあもう大騒ぎ。リフトでスタートへ行く選手がたまに手を振ってくれて、タワーにいた私はその笑顔で癒されたものです。ヤンネは風邪をひいていると言っていた、熱があるって。

"I have a temperature."

--それでも2位と6位。

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GPディフェンディングチャンピオン、ハナヴァルトの不在、シュミットの膝の怪我、雪印の辞退。2000年夏、そんなことはお構いなしに、ヤンネ・アホネンは圧倒的強さを誇る。冬には地元ラハティで世界選手権もあるし、今シーズンこそ、ヤンネの年になる予感。無冠の帝王も、この夏、やっとタイトルを穫る、GPだけれど。

この年、健康を害するまでの減量に歯止めをかけるためにスーツの規定が講じられる。肉体派(?)アホネンが圧勝したことで、FISは気をよくしていた。
右腕のTATOOと、ライトブラウンの無精髭がますます彼をジゴロ(?)っぽく見せる。

「な〜にやってんだか...」と思う。

このヒト、意外と軽いヒトかも?!

2000 summer: winner of Grand Prix
強かった!

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なぜマスクをするの?なぜピアスをしているの?なぜ髭を?なぜタトゥーを?人(=マスコミ)は何かとその理由をジャンプに結びつけたがる。マスクについては、感覚が鋭敏になるのだとか、表情を隠すためだとか...。
でも彼が口を開かないから報道は詭弁になる。専門的なことはわからない。でもきっと理由はただ1つ。
カッコいいから、でしょう...。


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2000年冬。地元ラハティでの世界選手権。ラージヒル個人戦。銅メダル。

「次はもっといいジャンプができると思う」

と団体戦に向けてコメント。マリシュではなくて、やはり2年来、マルティンが永遠のライバル?
ラージ団体。金は無理でも銀に最終的に滑り込んだのは上出来でしょう。
ノーマル個人戦。深くため息をつく。やれやれ。タイムリミットは迫っている。

そして最後のチャンス、ノーマル団体。--銀メダル。

「ヘルヴァルトがすっごく飛んだのは知っていた。でもボクにはあれ以上は飛べなかった」

いいジャンプだった。終了後の会見では、憑かれたようにサンドイッチを頬ばっていたという。肩の荷は下りたのでしょう。っていうか、終わっちゃったんだよね。本当にやれやれだ。

精一杯やったのは本人も含めて誰もがわかっている。成績を恥じる必要もないし、もちろん恥じるような成績ではない。でも、悔やむんだろうな。現役中はもう巡ってこないかもしれない地元でのWM。
絶好調だった夏。かつてないほどのモチベーションで臨んだシーズン。風に影響されやすいシャンツェや寒さまで、まるで彼のせいにされているように感じるのは被害妄想?皮肉なことに、喜びだとか苦悩だとかを顔に出さないタイプの彼は、その後も相変わらずタフに跳び続けるかのように見えた。でも、傷は深すぎた。ひいていた風邪も、気持ちの糸が切れ、悪化したのかもしれない。

一生一度の晴れ舞台にピークを持っていくことができなかった。そして元々、この冬は、調子は悪くないのに、とにかく勝てなかった。それでその傷がマグマに達してしまう前に、彼はシーズンを終えた。

WC総合5位。これで確か7シーズン連続のトップ10入り。たまには早退きしても、みんな許すと思うよ。


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えー、お笑いを一席...
冗談3秒前、2、1...
信条はKeep on smiling
眉間にシワを寄せたり、うなずいたりしながら話す、少しかったるそうな、決して流暢ではない、フィンランド語イントネーションのとつとつとした彼の英語は、微笑ましい。

「○○って英語でなんて言うんだっけ?」彼との会話中に近くにいたドイツ人に私がドイツ語で聞くと、彼が少し微笑む。

「英語、あまり得意じゃなくて...」
「ボクも」

--表彰台でさえ笑わない男、ヤンネ・アホネン。人がそう言うたびにニヤリとしてしまう。そう思ってなさい、と思う。ときどき思う。もしかしたら、笑いをこらえているんじゃないかって。自分のキャラじゃないから。たしかに愛想のいいほうではないし、口は重い。でも、ジャンプがうまくいかなくてモノに当たったり、文句を言っているのは見たことがない。そう、もう何年もトップの座をキープしているのに、堅実で破綻がない彼のジャンプと同じく、彼自身、スポイルされていない。ごく普通の人だからこそトップをキープしていられるのかもしれない。手堅さははらたいら級。だから最後の問題で竹下景子にもっていかれたりもするんだけどネ。


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地味派手というか、自己顕示欲は人一倍強い。16のころからしているというピアス。ブレーキングトラックでは、かのフェイスマスクを取って、ウィンクサービス。髪の色だってよく変わる。99年の夏は黒かったし、冬は元に戻ってた。'00夏はライトブラウンで、冬、札幌に来たときは赤茶色。世界選手権のときはブロンドだった。 タトゥーだなんて、まさに男は黙って、高倉健。渡世人のよう...。
そして、なんといっても強いこと、勝つことが、彼の一番の自己主張なのでしょうね。まじめな顔で言う冗談には(今の笑うとこ?と迷うこともある)かわいささえ感じる。

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インタビューのコツとは?!
彼の無口、無表情についてはいろいろ言われている。かつて読んだインタビューでは、よく答えているんだけど、それはごくごく一般的なことで、彼のツボにはまって、おちょくってるとしか思えないものだった。例えば

  インタビュアー:「エッ、彼女いるんですか?」
  ア ホ ネ ン:「古代から人間とは家族を形成する生き物です」

とか。質問にもよるし、その場の雰囲気もある。日本では、GPで。

  インタビュアー:「あと何回勝ちたいですか?」
  ア ホ ネ ン:「4回ぐらい」

あと2戦しかないっちゅ〜の!!これはジョーク、サービスしている部類に入るのでしょうか?

  「ボクは英語がうまくないので、フィンランド語で質問してください」

こう言われるとたいていのプレスはお手上げで、もちろんこれは彼の本音でもあり、作戦でもあるのだろう...。


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「写真撮るよ〜」というとだいたいこんな顔をする

八頭身ジャンパー:近くで見ると、思っていたより小さくて、細い人だと思ったという人がいた。
テレビやスタジアムで見るよりもずっと。とくにテレビはアップになるし、彼はよく身長の低い選手や痩せ型の選手と比較され、筋肉質でたくましいと思われがち。確かに、極細ジャンパーと比較すれば、そうなんだけど、一般男性や、同じ身長の別のスポーツ選手
と比べようものなら10kgは軽い。ウエストなんか70ぐらい...。脂肪は皆無。それに決定的なのは彼は顔が小さい。この小顔ゆえに小さく感じるのではと思う。

婚約中
「まだ結婚しないの?」
「今はまだトライアル中」

ジャンプに引っかけたジョークにもとれるけど、実際、フィンランド人はよくすることだそうで。
う〜ん、籍が入っていいても、いなくても同じじゃないの?!もう一緒に住んでるんだしって思うのですが。結婚には特にこだわりのないお国柄のはずが、近年、ちゃんと結婚するカップルも増えているとか。
知り合って、少しつきあって、一緒にいるのが自然になったら、同棲(古〜い!!)
する。それでうまくいくようだったら結婚するのだそうだ。


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01/02のヤンネ・アホネン
夏の淡い水色のヘルメット、好きでした。強い陽射しに目を細め、相変わらず口をへの字に結んで「ヨシッ」と頷きながらも、冬にした落とし物が見つからないようでもあった。白いノースリのタートルから覗く筋肉質のタトゥーの二の腕は健在だったけど。「まぁ、ゆっくりやってよ」と思う。でも、今シーズンはオリンピック。そうゆっくりもしてられないか。大イベントではいつもどことなくついていない彼。今度はどうなるコトやら。


↑自転車のロードレースではいくら暑くてもノースリーブを着ることは禁止されている。落車したら危険だから。それでも罰金覚悟でノースリを着る選手がいる。格段に涼しいのだそうだ。ましてや脇の下が空いていると・・・。
クオピオの開幕戦。フィアンセがおめでたで、予定日を過ぎても産まれないとか。心配で試合どころではなかったらしい。らしくないジャンプ。本人の不調もあるけど、物事に動揺しやすいのは、「らしい」のかも。早く終えて帰りたいというのが全身からにじみ出ているような。おめでとう、男の子だったそうです。昔あるインタビューで言っていた。--子供は2人ぐらいほしい。もし男の子だったらジャンパーにするかって?! 強制はしない。でももし彼らが望めばジャンプ台に連れて行くと。一昨年だったかな2002年に結婚するんだって言ってた。「いいなぁ!」って言ったらとても嬉しそうな顔をしていた。う〜ん、これは計画出産?破局説(そんなのあり?)も流れていた。それを気に病んでのラハティWMの不調だとさえ。彼自身、以前から「プライベートで問題があると必ずジャンプに出る」と語っていた。
彼女に初めて会ったとき、ヤンネは自分がジャンパーであることを言わなかったそうです。もちろんそのうちバレてしまうのだけど。
トップジャンパーであり続けることは、下りのエスカレーターを昇っているようなもの。昇るのを辞めたとたん、あっという間に下へ落ちる。マルティンはまだいい。とりあえず予選免除圏内にととどまっているから。ヤンネは毎回予選から。大変だと思う。
ジャンプ週間では予選敗退も。ヴィリンゲンではやや復調の兆し。 去年はWMを控えてここでは飛んでない。彼を温存してもFINはチーム戦では楽勝だった。そうチーム戦。失敗しなくてホントよかった。ホッとした。何でも不調の原因は腰痛だったらしい。夏から痛かったのだけど、誤診で、きちんと治療をしていなかったのだとか。これで上がっていけたらいいな、と思います。
結局今シーズン、生ヤンネを見たのはヒンターツァーテンでだけ。冬は見ていないのでよくわからないけど、父の自覚か、何となく顔つきが変わった気がする。髪が伸びたから?太った?いろんな意味で丸くなっちゃうとつまんない。なんとなく無愛想のままでいてほしい。

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アホネンがジョークを言う?!

これは1999年2月、ラムサウの世界選手権によせたザルツブルクの新聞の別刷りからの抜粋である。
タイトルは『Mann mit eisigem Laecheln』氷の微笑?!それともアイスマンの微笑み、とでも訳すべきか。この年、アホネンはジャンプ週間で総合優勝しており、世界選手権には優勝候補として臨んだ。そんな向かうところ敵なしの"勝っても泣き出しそうな顔をしているクールな"アホネンの口から出たジョーク。

"Pikku-Kalle tuli innoissaan jaeaekiekkopelistae ja jaein ensimmaeisessae kadunkulmauksessa auton alle. Auton kuljetta ryntaeri huolestuneena maassa makaavan Pikku-Kallen luo ja kysyi; Miten kaevi? Johon Pikku-Kalle vastasi; Suomi voitti Ruotsin 5-3."

これを訳すとこうなる(私は独語を訳した)。

小さなカッレはアイスホッケーの試合から大喜びで帰るとき車にひかれた。運転手は車から飛び出して、地面に横たわって息苦しそうに喘ぐ少年のところまで走っていき、とても心配して尋ねた。「どうした?」彼は答えた:「フィンランドがスウェーデンに5:3で勝った!」

ごく親しい仲間で飲んでいるとき、誰も聞きたくないのに、彼はこのジョークを言う。しかし、そういう状況でない限りは絶対に口にしないという。
このジョークのどこがおもしろいのかはきっと考えない方がいい。ポイントはWhat's wrong?でしょうけど。

出典: 1999年2月Salzburger Nachrichten
ラムサウ世界選手権特集 文: Egon Theiner