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c o n t e n t s 引退 --翼をたたんだイーグル 08/04/07UP 05/06 Qualインタビュー 5/15UP ドラッグレース講座 02/03アホネン最新情報:マスク・夢・家・腰 ヤンネ・アホネンの微笑み 01/02のヤンネ・アホネン アホネンがジョークを言う?! |
》生涯成績《
・WC 344 戦 ・通算 36勝 ・WC 総合優勝 2回 ・表彰台 105 回 ・WCデビューは15歳、92年ルーポルディング(56位) ・WC初優勝は翌93年エンゲルベルク ・最後の優勝は苦手なクオピオでの初勝利 ・エンゲルベルクで5勝(2位×3、3位×3) ・ハラホフ(LH)で4勝 ・ビショッフスホーフェンで3勝 ・04/05の1シーズン12勝は世界記録 ・6連勝は世界タイ記録 ・ジャンプ週間総合優勝5回は世界記録 ・ジャンプ週間での表彰台が多いことを改めて確認 ・以下に記す
興味深いのは、優勝候補として臨むと、内外からのプレッシャーで勝ちにくということだ。 アホネンはジャンプ週間総合優勝したシーズンにジャンプ週間前に1位だったことは、8戦中7勝していた04/05を除いて、ない。07/08のモーゲンシュテルンは7戦中6勝してオーバーシュトドルフに入り、オーバーシュトドルフでも勝ったが、ジャンプ週間総合は獲れなかった。01/02、マリシュは6勝もしていたのに、ハナヴァルトの4戦全勝で終わる。そして98/99、シュミット断然有利の中、アホネンが1勝もしないで勝った。 Review 過去10年を振り返る。 07/08:30歳。5度目のジャンプ週間総合優勝。引退決意。5月には第二子誕生。 06/07:なぜこのシーズンで辞めなかったのか。WMメダルなし、総合8位では終わりたくなかった? 05/06:トリノで最後の五輪と感じる。この辺りから引退を意識し始めたか。 04/05:開幕6連勝、12勝で総合連勝を果たす。 03/04:26歳。総合初優勝。表彰台13回。トップ10を外したのは4回、15位以下は1回のみ。 02/03:マスクをやめる。家を建てる。 01/02:長男誕生。ソルトレイク五輪、団体戦。0.1点差で金を逃す。不調の原因は腰痛だった。 00/01:おそらくタトゥを入れたのはこの年。GPで5勝。地元ラハティWM。金は獲れず。 99/00:シュミット、ヴィドヘルツルとともに三強と称され、3人のうち誰かが勝っていた。 98/99:シュミット台頭。2人で総合争いをする。 97/98:20歳。 |
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・2000年の白馬の2戦目は団体戦。 ・95年から97年、2戦中1戦はNH(宮の森)。 ・日本での最後の試合は2007年、札幌の世界選手権。 ・白馬、札幌ともにサマーグランプリで1勝ずつ。
通貨の単位はCHF(スイスフラン)。 FISのHPには01/02までしかデータがなく、あるものだけを合計した。もちろんその前も賞金はあった、額は今ほど多くないが。 08年4月7日のレートで換算すると日本円にして112,508,550(1億1千250万8千550円)。 このほかに何千万単位/年のスポンサー収入があるはず。 右の順位は賞金ランキング。WCランキングとは異なる。 ちなみにWCの1位賞金は3万フラン。 |
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Qual インタビュー 2006年5月12日付 FINのジャンプスーツメーカーQualのHPにアホネンのインタビューが掲載されている(www.qual/fi/)。話題はエクィップメントの結果に占める割合、Qualとの共同開発、バンクーバー五輪、昨季で一番のジャンプ、マスコミ嫌い、トレーニング、世界選手権の開催地札幌、自分の会社についてなど。その中で興味深いところを掘り下げてみました。なお、インタビューは英語です。 −バンクバー五輪出場はビミョー。WC総合で7季連続トップ3に入っているヤンネも来年30歳。今までは続けるかどうかなんて考えたことなかったけど、さすがにトリノでは初めて考えたそうだ。 −元複合選手のマンティラと興した会社Radiusは、UVEXのバイク用のヘルメットやゴーグルを扱う会社。フィンランドには輸入代理店がなかったそうで、ドイツから輸入して儲かってるらしい。
「いい思い出も、悪い思い出も両方ある。うまくいったこともあるし、うまくいかなかったこともある。ラージヒルはかなり平均的で、可もなく不可もなく、まぁ、まぁまぁかな、好きじゃないけど。実はノーマルヒルはもう何年も飛んでなくて、そこでWCがあったことさえ覚えてない。もう10年ぐらい経つんじゃない?」 ヤンネ、初めて宮の森で飛んだのは17歳のとき。覚えてないって言ってるけど96mの最長不倒を飛んで2位だった、1位なら覚えてるんだろうけどね。神童と呼ばれたころですね。最後に宮の森でWCがあったのは97年。それ以降は大倉山開催。そう約10年前です。で、そのとき勝ってるのがなんと(ブレイク前の)マリシュ。もう宮の森を飛んだことがない選手の方が多いのかもしれない。どっちみちプロフィールは変わっているけれど。 05/06 オリンピックシーズンを終えて |
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フィンランド人と車の関係--ドラッグレース講座 Flying Finnと言うと本当に飛んでいるスキージャンパーのことではなくて、ふつうは飛ぶように速いフィンランドのドライバーのことを指す。F1のハッキネンやライッコネンしかり、ラリーのマキネンやグロンホルムしかり...。 |
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夫が毎月購読している車の雑誌『NAVI』の10月号に「フライング・フィンの運転力。フィンランド人の運転が上手な理由、あるいは空中で車の向きを変える方法について」という記事が載っている。ユヴァスキュラ(ユッシライネンのところ)の公道で行われたワールドラリー選手権を通して、フィンランド人の運転について書かれている。
なぜ車が空を飛ぶのか?フィンランドのラリーコースはアップダウンが激しく、道はダートだが相当硬く、タイヤが接地する時間が短いから飛んでいるように見える。着地の直前に瞬時に車の速度や姿勢を予測し、接地直後にハンドルを切っているから、空中で向きを変えているように見える。超能力でもない限り空中で向きを変えるのなんて不可能だと。 しかしレース以外でフィンランドの街で車が速いかというとそうでもない...。フィンランド観光局のHP、Finnland This Weekにも載っていたが、フィンランドではスピード違反の罰金が年収によって計算される。IT長者のヤーッコ・リュツォラ氏の愛車はフェラーリ。ヘルシンキ市街で信号が変わった瞬間、隣の車に負けまいと"F1"スタートした彼。そこをパトカーに目撃され、捕まる。罰金は始め800マルカ(1マルカ=約18円)のはずだった。ところが彼の前年の年収は2600万マルカ。罰金は100,310マルカ(約180万円)にもなった。ちょっとF1ドライバーを気取るとこうなるわけだ。『NAVI』にはノキアの副社長が30km/hオーバーで1300万円の罰金を払ったという話が載っている。まぁ、だから、見えるところでは飛ばさないと...。でも、市街地を抜け横道にはいるとそこは例のダート。そういうところでフィンランド人は技術を磨いているのだと。 『NAVI』10月号にはヘルシンキから帯広まで車でやって来たアーティストの話も載っている。「だってフィンランドと日本の間にはロシアしか国がないんだよ」って...。まぁ、ヘルシンキ-千歳をフィンエアが飛んでてもいいかなと思う。ほぼ直線でしょ。ヨーロッパから帰ってくるとき北海道上空を通過する。ここで落として...っていつも思う。だって成田-千歳はあまり便がないから、羽田を経由するのホント疲れるんです...。 |
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さて本題へ...。プライベートではBMWのM5に乗り、KawasakiのZXを操るヤンネ・アホネンが、この夏、ドラッグレースに参戦した。もともと車好きの彼はまさに典型的フィンランド人なのだろう。ヤンネがドライバーとして所属するチーム、イーグルレーシングとしては、ヤンネの力も買っているし、何より人寄せパンダになる...マッチ(ハウタマキではない、近藤真彦)のように。 | ||||||||||||
Photo:Heikki "Heineken" Malinen |
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ドラッグレース:元々はアメリカのストリートで車好きが1マイル(402.33m)の速さを競い合っていた。いわゆるゼロヨンというヤツ...。それが人気を得て競技にまでなった。 タイムトライアル競技で、停止状態からゴールまでの所要時間Elapsed time(Et)と通過速度を競う、通常は2台による対決方式で争われる(ドッグファイトというらしい)。スタートのタイミングが一番大事で、それはスキージャンプにも通じるところがあるとヤンネはインタビューで語っている。 |
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ヤンネが出場しているのはCompetition Eleminatorというカテゴリー。試合結果はFHRA(Finnish Hot Rod Association)のHPで見られる。まずタイムトライアルをする。その先はトーナメント方式。Etが所要時間で、Rtがリアクションタイム。シグナルが緑になってからスタートするまでの反応時間のことだ。シグナルは黄色から緑になるのだが、人間が反応するには0.4秒は必要とされていて、Rtがそれより速いとフライング扱いになり、ペナルティが科せられる。 | ||||||||||||
ヤンネの最高成績はフィンランド選手権の初戦(5/31〜6/1)の優勝。その後、3戦している。第2戦(7/4〜6)はヨーロッパ選手権も兼ねていた。ヤンネは第2ヒートで敗退しているが、RtとEtの関係がよくわかる。第1ヒートではヤンネはEtでは負けているがRtがよくて勝ち抜けている。第2ヒートでは逆にEtでは勝っているのにRtで負けている。第3戦(7/19〜20)は僅差で第2ヒートで負け。第4戦(8/16〜17)はヤンネにとって最後の試合。第3ヒートで破れている。Rtに-がある。これがペナルティなんでしょう。タイムではわずかに勝っていたのにね。8/29のフィンランド選手権の最終戦には参加していない。29日がプレダッツォ、30日インスブルックでGPだから...。 それでも総合では2244点で3位に入った。ちなみに1位がミカ・エロランタ(2545点)、2位は同じイーグルレーシングのアンティ・ホルト(2537点)。 コーチのニクネンもsuomijumpers.comで語っているが、ドラッグレースに参戦したためにこの夏はちょっと忙しくなってしまったのだそう。来期の参戦はあるのかな? |
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参考:FHRA 、Eagle Racing 、ツインリンクもてぎ | ||||||||||||
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初めてヤンネ・アホネンに会ったのは98年の1月。長野オリンピック直前の札幌のWCの時だった。 選手たちは長野行きの荷物をコンテナに積むためにロビーに集まっていた。荷物出しはチームのアルファベット順で、そのとき、そこにはフィンランド(F)とドイツ(G)がいた。あのころはまだ選手を識別するのに苦労していた。 もちろんアホネンのことは知っていた。が、彼らはウエアを脱ぎ、ヘルメットを取ってしまうと普通の男の子で、ホントに別人にさえ見える...。オーラも消える。テレビの中の、シャンツェのあの選手が、このヒト、と認識するのは簡単ではない。 そのときソイニネンが言った。 |
「ヤンネ!」 と言って振り向いた、端整な顔立ちのごくふつうの男子、それがヤンネ・アホネンだった。 このときのフィンランドのメンバーはアリペッカ・ニッコラ、ミカ・ライティネン、ヤニ・ソイニネン、キンモ・サボライネン、そしてヤンネ・アホネン。長野のノーマルヒルでソイニネンが金メダル。キャリアも長く、まるでベテラン選手のような感のあったアホネン(名前をよく聞いていたからカナ)の実物に初めて会い、とても若い選手だと実感したシーズンだった。 |
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翌99年。マルティン・シュミットとアホネンが総合優勝を争ったシーズン。 会見でそう言って笑ったとか笑わなかったとか...。お疲れの彼は札幌で表彰台にこそ上がれなかったが、それでもしっかりとシングルの成績を残す。コーチから試技の前に1本練習したいという要望があり、ジュリーはそれを許可したが、結局、練習ジャンプはしないまま、ぶっつけ本番。 |
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この年からFINのヘッドコーチがミカ・コヨンコスキーに。チーム全体の底上げを計る。成績アップのせいか、FIN選手の印象も濃くなる。それとももう3度目だからか。 ヤンネは赤いスーツと板。ヘルメットとフェイスマスクと靴は黄色。そしてWCリーダーのイエロービブなら、完璧なコーディネートなわけね...。 しかし札幌ではマルティンの二連勝。天候も悪く、ジャッジタワーではコンピュータートラブルなどあり(電気系統がすべてアウト。練習のスタート合図は手信号でした)そりゃあもう大騒ぎ。リフトでスタートへ行く選手がたまに手を振ってくれて、タワーにいた私はその笑顔で癒されたものです。ヤンネは風邪をひいていると言っていた、熱があるって。 "I have a temperature." --それでも2位と6位。 |
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GPディフェンディングチャンピオン、ハナヴァルトの不在、シュミットの膝の怪我、雪印の辞退。2000年夏、そんなことはお構いなしに、ヤンネ・アホネンは圧倒的強さを誇る。冬には地元ラハティで世界選手権もあるし、今シーズンこそ、ヤンネの年になる予感。無冠の帝王も、この夏、やっとタイトルを穫る、GPだけれど。 この年、健康を害するまでの減量に歯止めをかけるためにスーツの規定が講じられる。肉体派(?)アホネンが圧勝したことで、FISは気をよくしていた。 右腕のTATOOと、ライトブラウンの無精髭がますます彼をジゴロ(?)っぽく見せる。 「な〜にやってんだか...」と思う。 このヒト、意外と軽いヒトかも?! |
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なぜマスクをするの?なぜピアスをしているの?なぜ髭を?なぜタトゥーを?人(=マスコミ)は何かとその理由をジャンプに結びつけたがる。マスクについては、感覚が鋭敏になるのだとか、表情を隠すためだとか...。 |
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2000年冬。地元ラハティでの世界選手権。ラージヒル個人戦。銅メダル。 「次はもっといいジャンプができると思う」 と団体戦に向けてコメント。マリシュではなくて、やはり2年来、マルティンが永遠のライバル? そして最後のチャンス、ノーマル団体。--銀メダル。 「ヘルヴァルトがすっごく飛んだのは知っていた。でもボクにはあれ以上は飛べなかった」 いいジャンプだった。終了後の会見では、憑かれたようにサンドイッチを頬ばっていたという。肩の荷は下りたのでしょう。っていうか、終わっちゃったんだよね。本当にやれやれだ。 |
精一杯やったのは本人も含めて誰もがわかっている。成績を恥じる必要もないし、もちろん恥じるような成績ではない。でも、悔やむんだろうな。現役中はもう巡ってこないかもしれない地元でのWM。 絶好調だった夏。かつてないほどのモチベーションで臨んだシーズン。風に影響されやすいシャンツェや寒さまで、まるで彼のせいにされているように感じるのは被害妄想?皮肉なことに、喜びだとか苦悩だとかを顔に出さないタイプの彼は、その後も相変わらずタフに跳び続けるかのように見えた。でも、傷は深すぎた。ひいていた風邪も、気持ちの糸が切れ、悪化したのかもしれない。 一生一度の晴れ舞台にピークを持っていくことができなかった。そして元々、この冬は、調子は悪くないのに、とにかく勝てなかった。それでその傷がマグマに達してしまう前に、彼はシーズンを終えた。 WC総合5位。これで確か7シーズン連続のトップ10入り。たまには早退きしても、みんな許すと思うよ。 |
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信条はKeep on smiling 眉間にシワを寄せたり、うなずいたりしながら話す、少しかったるそうな、決して流暢ではない、フィンランド語イントネーションのとつとつとした彼の英語は、微笑ましい。 「○○って英語でなんて言うんだっけ?」彼との会話中に近くにいたドイツ人に私がドイツ語で聞くと、彼が少し微笑む。 --表彰台でさえ笑わない男、ヤンネ・アホネン。人がそう言うたびにニヤリとしてしまう。そう思ってなさい、と思う。ときどき思う。もしかしたら、笑いをこらえているんじゃないかって。自分のキャラじゃないから。たしかに愛想のいいほうではないし、口は重い。でも、ジャンプがうまくいかなくてモノに当たったり、文句を言っているのは見たことがない。そう、もう何年もトップの座をキープしているのに、堅実で破綻がない彼のジャンプと同じく、彼自身、スポイルされていない。ごく普通の人だからこそトップをキープしていられるのかもしれない。手堅さははらたいら級。だから最後の問題で竹下景子にもっていかれたりもするんだけどネ。 |
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地味派手というか、自己顕示欲は人一倍強い。16のころからしているというピアス。ブレーキングトラックでは、かのフェイスマスクを取って、ウィンクサービス。髪の色だってよく変わる。99年の夏は黒かったし、冬は元に戻ってた。'00夏はライトブラウンで、冬、札幌に来たときは赤茶色。世界選手権のときはブロンドだった。 | タトゥーだなんて、まさに男は黙って、高倉健。渡世人のよう...。 そして、なんといっても強いこと、勝つことが、彼の一番の自己主張なのでしょうね。まじめな顔で言う冗談には(今の笑うとこ?と迷うこともある)かわいささえ感じる。 |
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インタビューのコツとは?! インタビュアー:「エッ、彼女いるんですか?」 とか。質問にもよるし、その場の雰囲気もある。日本では、GPで。 インタビュアー:「あと何回勝ちたいですか?」 あと2戦しかないっちゅ〜の!!これはジョーク、サービスしている部類に入るのでしょうか? 「ボクは英語がうまくないので、フィンランド語で質問してください」 こう言われるとたいていのプレスはお手上げで、もちろんこれは彼の本音でもあり、作戦でもあるのだろう...。 |
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八頭身ジャンパー:近くで見ると、思っていたより小さくて、細い人だと思ったという人がいた。 テレビやスタジアムで見るよりもずっと。とくにテレビはアップになるし、彼はよく身長の低い選手や痩せ型の選手と比較され、筋肉質でたくましいと思われがち。確かに、極細ジャンパーと比較すれば、そうなんだけど、一般男性や、同じ身長の別のスポーツ選手と比べようものなら10kgは軽い。ウエストなんか70ぐらい...。脂肪は皆無。それに決定的なのは彼は顔が小さい。この小顔ゆえに小さく感じるのではと思う。 |
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