2009/2010 SKI JUMPING
シモン "ハリー・ポッター" アマン、ワールドカップの超人。 - シーズン総括に代えて- |
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昨季から続くシュリーレンツァウアー−アマンの対決は、オーストリア全盛期の今、今季もシュリーリ(シュリーレンツァウアー)に分があると思っていた。シュリーリは3月に怪我をして5カ月も飛べず、アマンは夏、絶好調だったにもかかわらず。
シーズン前半、札幌までは抜きつ抜かれつだった。アマンは7戦目のエンゲルベルクの3勝目を最後に、札幌まで勝っていない。その間にシュリーリは3勝して、計5勝。 13戦目、札幌の前のクルムのフライングが終わって、シュリーレンツァウアー4勝(796点)、アマン3勝(794点)。わずか2点、シュリーリが勝る。メディアによるとシュリーリは札幌に来たがっていた。欠場すれば総合で水を空けられるのはわかっているし、何より、負ける気がしなかったのだろう。札幌が大好きなモルギの来札は発表前から確信していたが、アマンは来ないんじゃないかと思った。WCポイントを稼ぐか、それともリスクを避け、練習と休養に当てるか。シュリーリのリードはわずかだったが、たとえ札幌で逆転されても、またすぐに取り返してトップに立つだろうと思った。実際、次のザコパネでは休みが功を奏したのか、試合に飢えていたのか、連勝。飛べば勝つという印象を受ける。 ところが札幌でトップに立ったアマンは、シーズン終了までその座を一度たりとも明け渡さなかった。シーズン中盤、札幌から、オリンピックで金メダルを獲ると、NT4連勝、フライングWM完勝。 |
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シモン・アマン--数年前まで、総合を狙うような選手になるなんて思ってもみなかった。むしろ、適当なところで競技生活から足を洗い、ふつうの暮らしに戻るのだろうと思っていた、多くのスイス人選手がそうであるように。 ではここでシモン・アマンの軌跡。1981年6月25日、グラブス生まれ、ウンターヴァッサー育ちの28歳。現在はフィアンセとシンデッレギに住む。男2人女3人の5人兄弟の真ん中に生まれたシモンは、11歳でジャンプを始める。始めはアルペンスキーヤーを目指していたが、体が小さかったために断念。地元で行われたスキージャンプの大会にたまたま参加し、ジャンパーの道に進む。 WCデビューは16歳、1997年。ジャンプ週間のオーバーシュトドルフで15位に入り、急遽、長野五輪に選出され、日本へやって来る。結果はNH35位、LH39位。そんなもんだ。実家は牧場で、「彼の家にはTVがないんだよ」札幌に来た役員たちはとてもうれしそうにシモンのことを話した。ジャンプエリートではない、普通のスイスの子の生い立ちを。かわいくて、話題にはなったもののそれだけ。スイスはもともとチームでも個人でも勝ったり、表彰台に乗ったりする国ではなかった、残念ながら。ジャンプでは食べていけないし。97/98、WCに参戦したのは5戦。98/99は4戦でポイントなし。2000年、ギムナジウム(高校)卒業の年、学業との両立がうまくいかず、マトゥーラ(高校卒業資格/大学入学資格)が取れなかった。それで00/01は競技を休み、学業に専念。WCはクオピオのみだった。 |
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2002年、ソルトレイク五輪で二冠を達成するわけだが、金メダルを獲るまではWCで勝ったことがなかった。ただ、01/02、調子は悪くなかった。12月、エンゲルベルクで2位、プレダッツォで3位と2位、オーバーシュトドルフで3位。ところが1月のヴィリンゲンの公式練習中に転倒、脳震盪を起こす。顔からランディングバーンに突っ込んで、鼻がずるむけ。「フェイスマスクって有効かも」誰もがそんなことを言っていた。そしてそのわずか1カ月後、金メダル、それも2つも。もう、ビックリ!! その後のシーズンは、WC総合で30位以内を保っていたものの、03、05のWM、06のトリノ五輪と不振が続く。単なる人気者、なぜか大試合になると強いだけでなく、総合を狙える選手になったと感じたのは2007年札幌WMのころから。いい選手になったと思ったし、ここ1、2年が正念場なのだろうと思った。このがんばりが、総合という形で結果が出るといいな、と思った。思ったけれど、実際には、シュリーリなんだろうと、バンクーバまでは思っていた。ザコパネでシュリーリが「ほらね」と連勝。アマンが欠場した五輪前最後のヴィリンゲンでも勝って、五輪はシュリーリ、五輪はAUTと思った。ところが、だ。五輪はアマンの作戦勝ちだったと思うし、バンクーバのバナーの色とシモンのウェアがまるでコーディネートしたかのように同じで、呼ばれてるとしか思えなかった。
ところで、ハリー・ポッターと呼ばれることの功罪。ソルトレイクで突然、勝ったから、しかも2つも、フロックだろう、魔法でも使ったんだろうと。そして試合以外では眼鏡をかけているあの風貌から、ハリー・ポッターと呼ばれる。ホントにソルトレイクの表彰式のときの眼鏡と銀色のマントはハリー・ポッターぽかった。そしてまたバンクーバーでも。ハリー・ポッターと称されること=魔法で勝った、実力がないと思われるのは心外だけど、スキージャンプがあまり認知されていない北米で、自分がハリーに似ている(と思われる)ことで親近感を持たれたり、ジャンプが注目されたりするのはいいことだ、とアマンは言っている。 |
2ピリオド |
Kuu
|
計
|
Lille
|
計
|
Lille
|
計
|
Engel
|
計
|
Engel
|
計
|
Engel
|
計
|
Amman |
22
|
22
|
22
|
44
|
100
|
144
|
100
|
244
|
80
|
324
|
100
|
424
|
Schlieri |
12
|
12
|
100
|
112
|
50
|
162
|
80
|
242
|
100
|
342
|
40
|
382
|
A−S* |
10
|
10
|
-78
|
-68
|
50
|
-18
|
20
|
2
|
-20
|
-18
|
60
|
42
|
3ピリオド |
Ober
|
計
|
Garm
|
計
|
Inns
|
計
|
Bishof
|
計
|
|
|
|
|
Amman |
45
|
469
|
60
|
529
|
80
|
609
|
60
|
669
|
|
|
|
|
Schlieri |
29
|
411
|
100
|
511
|
100
|
611
|
40
|
651
|
|
|
|
|
A − S* |
16
|
58
|
-40
|
18
|
-20
|
-2
|
20
|
18
|
|
|
|
|
4ピリオド |
Kulm
|
計
|
Kulm
|
計
|
札幌
|
計
|
札幌
|
計
|
Zako
|
計
|
Zako
|
計
|
Amman |
80
|
749
|
45
|
794
|
45
|
839
|
100
|
939
|
80
|
1019
|
80
|
1099
|
Schlieri |
45
|
696
|
100
|
796
|
−
|
796
|
−
|
796
|
100
|
896
|
100
|
996
|
A−S* |
35
|
53
|
-55
|
-2
|
45
|
43
|
100
|
143
|
-20
|
123
|
-20
|
103
|
5ピリオド |
Ober
|
計
|
Klin
|
計
|
Willi
|
計
|
|
Vancouver
|
NH
|
LH
|
|
|
Amman |
50
|
1149
|
100
|
1249
|
−
|
1249
|
|
金
|
金
|
|
||
Schlieri |
36
|
1032
|
60
|
1092
|
100
|
1192
|
|
銅
|
銅
|
|
||
A−S* |
14
|
117
|
40
|
157
|
-100
|
57
|
|
|
|
|
|
|
6ピリオド |
Lahti
|
計
|
Kuo
|
計
|
Lille
|
計
|
Oslo
|
計
|
|
|
|
|
Amman |
100
|
1349
|
100
|
1449
|
100
|
1549
|
100
|
1649
|
|
|
|
|
Schlieri |
50
|
1242
|
24
|
1266
|
80
|
1346
|
22
|
1368
|
|
|
|
|
A−S* |
50
|
107
|
76
|
183
|
20
|
203
|
78
|
281
|
|
|
|
|
WCポイントの蓄積を数字で見比べてみると、札幌が終わって差が開いたことがよくわかる。たしかにシュリーリはザコパネで連勝しているが、アマンはその2戦とも2位で点差を最小限の20点×2に押さえている。やはり欠場、無得点、最大で200点差(札幌では145点差)というのは大きい。シュリーリが札幌に来ていたら、あの時点での勢いからして、勝っていただろうと思うわけで。まぁ、来たいと言った本人を制したスタッフは、今季は総合より五輪に賭けたのだろう。まだ若いシュリーリはこれから総合を獲るチャンスはいくらでもある。でも4年に1度しか巡って来ず、一発勝負ですべてが合わなければならない五輪。例えば、アスリートとしては大成功と評価できるアホネンでさえ金を獲れていないのだから。獲れそうなときに獲りに行くのは当然だ。
ここ数年のアマンを見ると、身長は変わらないのに、体重は5kgほど増えている。必要な筋肉をつけた結果なのか、BMI対策なのか。あのビンディングが今後どうなるかは注目されるところだが(ビンディングについてきちんとエントリをあげていないが、板が外に開かず平らに保つことができ、まともに風を受ければ当然、浮力は増す)、使えなくなったところで、アマンが急に弱くなることはないだろう。シュリーリは学校も終わり、そろそろ成長(身長の伸び)が止まって、体質によっては自然と体重が増える年齢で。あんなに強かったモルギがスランプに陥ったように、ひょっとすると試練が訪れるかもしれない。だから今のアマンとシュリーリのちがいは、アマンはすでに大人だということかもしれない(小っちゃいけど)。 オーストリアはシュリーリ以下、5人がWC総合でTOP10。モルギ3位、コフィ4位、ロイツル6位、コッホ8位、ツァウナー13位。来るシーズンに向けて、ツァウナーとCOCのルーカス・ミューラーがナショナルチーム入りした。7人というのはWCに出られる最大数だ。ツァウナーは札幌以降参戦した11戦全戦でポイント。ミューラーはWC43位。彼より順位が上の選手もいるのだが(トゥルンビヒラー、フェットナー、イナウアー)、言うなればいつもこの辺の順位にいる顔ぶれ。COCでは2勝、COC総合は9位。勝利数もウンターベルガーの方が勝っている。それなのにナショナルチーム入りしたミューラーは逸材なのだろうか。 ドイツはWCの総合TOP10には1人も入っていないが、バンクーバーでの団体銀メダルが大きな収穫だ。ウアマン12位、ボードマー19位、ノイマイヤー20位、ヴァンク21位、シュミット29位。ボードマー(19歳)はエンゲルベルクで2位になった久々のドイツ期待の星。ジャンパーとしては長身過ぎるし、大人しすぎると言われてきたジュニアチャンピオン、ヴァンクは札幌で表彰台に乗り、徐々に成績が出るようになってきた。マルティン・シュミットはよっぽどよくなければ今年が最後だろうから、ふんばってほしい。 ルメレンが初戦を勝ったものの、意外と地味だったノルウェー。それでもヤコブセンはフライングで一勝し、ヒルデには復調の兆しが見える。2011年は地元の世界選手権だから、コヨンコスキもこれに賭けてくるんだろう。 アホネンが復帰したフィンランドは(アホネンはバンクーバーでやってしまった膝を6月に手術するそうだ。アホネンの強さって怪我が少ないことでもあったのにね...)、新シーズンはカンテーがワックスマンとしてではなく、コーチとしてチームに加わる。ヘッドはニエメラ。なんだか復調の匂いがする...いや、わかんないけども。 マリシュは完全返り咲きと見ていいだろう。WCでは1勝もできなかったけど。まさに五輪に賭けて成功した。ハンヌ・レピストがマリシュの個人コーチをしていて、チームとの連携を含めて、とてもうまくいっているのだという。 日本チームは2本目に進むのは葛西と大貴の2人。大貴もそうだが、葛西クンは札幌以降、五輪前のWCをすべて欠場しなければ確実にもっと上位に行けただろう。カリの方針だったのだろうか、体調に問題ないのなら、休まなくてもよかったんじゃないかと思うのだが。総合を狙っているわけではない。でも5戦も出ないというのはコンディション的にどうなんだろう。そして、竹内、栃本、湯本はもっとコンスタントに予選通過、2本目進出してくれなくては。岡部クンはやることもやりたいこともわかってるだろうから、それでまた上向いて行ければいいと思う、彼が好調になって戦力に加わることはむしろオプションだと今は思う。 2010/2011はスキーの長さが身長の145%になり、BMIは20.5に引き上げられる。ウィンドファクターとゲートファクタールールの導入の日も近いだろう。そうなるとますます、ガチガチな、PCゲームのような展開になりそうだなぁ... |