札幌のコンチネンタルカップは、毎年、1月中旬、宮の森(K90)で1試合、大倉山(K120)で2試合行われる。宮の森は札幌オリンピック記念大会(何年か前まではTV放映もありました)、大倉はそれぞれ、HTB杯(テレ朝系)、STV杯(日テレ系)を兼ねている。
参加外国人選手はWCと違って少人数で、3試合、滞在期間も6泊7日とWCよりも長い。選手にはスポンサーからハッピや扇の額、ネクタイなどいろいろおみやげがある。初来日の選手、コーチにはうれしいかもしれない。上は99年の写真。このときは、全員がその場でプレゼントの包みを開け、ハッピを着て、ネクタイを締め、扇の額を手に持ち、記念写真と相成った。中にはこんなプレゼントでは歓ばない選手、コーチ、役員もいるが...。
成人の日がまだ1月15日にフィックスされていたころは、20歳を迎える選手には、外国人選手にもプレゼントがあった。もっとも欧州では20歳で成人ではない国もある(ドイツ:18歳、オーストリア:19歳、スイス:20歳。ごめんなさい、他の国は知らないです)。
翌週にWCが行われれば、そのまま残ってWCも飛ぶ選手も多い。やはり、場合によっては近寄りがたさを放っているWCクラスの選手より親しみやすい感じがするし、試合としてもまったり。
札幌でコンチがある1月の第2週末、ヨーロッパのどこかでもコンチが開催されている。だからコンチの総合トップ争いをしている選手は札幌のコンチへ来ることはあまりない。亜流なのだ。WCと同じく日本へ来るには体力的にリスクがある。時差もなく試合会場へも近いヨーロッパで戦っている方が基本的には楽なのだろう。でも考えようによっては、トップがいない試合は勝ちやすい。同じコンチだから、勝ちは勝ち、100点入る。
トップが来ることが少ないという札幌のコンチの性質上、ここで会った選手が以降のシーズンでAチーム入りを果たし、改めてWCで札幌にやってくる、ということは多くはない。
1998年:初めてコンチに関わった年。わけもわからず学びながらのお手伝いだったが、ジャンプの綺麗さに圧倒され、虜になるきっかけとなった記念すべき(?)大会。
参加選手はミヒャエル・クリ(AUT)、パシ・フットネン(FIN)、クラウス・アルガイヤー(GER)、アルヴェ・ヴォルヴィック(NOR)、ダミアン・フラス(SLO)。 長野オリンピックの年。このクラスでもまだまだ日本が強かったころだ。AUTのクリは表彰台に上っている。SLOのダミアンが入賞して賞金を持って帰ったことがやけに嬉しかった。
このとき来日した選手で今でも名前を聞く(しかもWCで)のはダミアンのみ。今後、この札幌のコンチの位置づけがどうなるか、選手がどう利用していくかはわからないが、ダミアンは希なケースではと今でも思う...。
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