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さよなら、ヴィドヘルツル。 |
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「ヴィドヘルツル、現役終了」のニュースを読んだとき、やっぱりと思った。年末のインタビューで「まだ辞めない」と言っていたのがむしろ意外だった。今年は辛抱の年、と決めているのなら、戻ってくるのを待ってるよ、と思った。なのにやっぱり引退--それほど驚きもなく、それでもわけなど知りたくてTiroler Zeitungのインタビューを読み進めていくうちに、なんだか涙があふれ、個人的な思い出も書き留めておかなければ、と思う。 06/07、札幌の世界選手権を辞退する。「ネームバリューでボクを選ばないで。ボクよりもっとふさわしい選手がいる」彼らしいと思った。結局、シュリーレンツァウアー(2位)、モーゲンシュテルン(6位)、コフラー(10位)、ロイツル(13位)、コッホ(15位)、この上位5人に加えてイナウアー(22位)が選ばれた。試合には上の3人にコッホとロイツルを交替で使う。イナウアーに出番はなかった。このシーズンのヴィドヘルツルのひと桁順位はヴィケルスンの6位のみ。あまり、あがく人ではないと思っていたから、このとき、もう辞めちゃうのかと思った。「2008年のフライングWMが目標」そうだよね。辞めないさ...。 飛ぶことはまだ楽しい。でも、そのための厳しいトレーニングを最優先するモチベーションは薄れてきている。抵抗力も落ちてきている、痛みもある。もう、いいかな...って。 ルール改正。スーツが狭くなったことは、フライトが持ち味で、どちらかというと浮力で飛んでいたヴィドヘルツルには確かに有利ではなかった。それでスタイルを変えた。体重を減らすことに躍起になっていたこともあった。BMIルールができてよかった。 エース交替? シュミットがトーマを追いやったように、いや、ヴィドヘルツルがフェットーリを追い落としたように。それが世の常だ。 トップアスリートとして過ごした日々が静かに幕を閉じる。今度、会うときはコーチだね。 |
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生涯成績
・WC 280 戦 ・通算 18勝 ・表彰台 49 回
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ヤナちゃん(99生まれ)、ノアくん(01年生まれ)、エレアちゃん(04年生まれ)、 3人のお子さんのよきパパ。 Good Luck!!! |