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さよなら、ヴィドヘルツル。

「ヴィドヘルツル、現役終了」のニュースを読んだとき、やっぱりと思った。年末のインタビューで「まだ辞めない」と言っていたのがむしろ意外だった。今年は辛抱の年、と決めているのなら、戻ってくるのを待ってるよ、と思った。なのにやっぱり引退--それほど驚きもなく、それでもわけなど知りたくてTiroler Zeitungのインタビューを読み進めていくうちに、なんだか涙があふれ、個人的な思い出も書き留めておかなければ、と思う。

初めてヴィドヘルツルに会ったのは、多くのビッグネームとの出会いがそうであったように、長野五輪の年の札幌WCだった。AUTは希望の時間に体育館が取れなくて、当時コーチだったコヨンコスキが記者会見の時間に練習しようと、ヴィドヘルツルを会見に出すの出さないのと揉めた。思えばミカともこれが初めての出会い。トーマがWC総合2位。ビショフスホーフェンとオーバーシュトドルフのフライングで勝った新星、ハナヴァルト。札幌でのドイツの優勝はあり得たし、長野五輪のメダル候補でもあった。でも勝ったのは総合トップの船木でもハニーでもなく、ヴィドヘルツルだった。札幌は世界選手権を招致していて、工事中の大倉山で、走り回ったのを覚えている--今のラムダイニングの場所でリザルトが出て、それを持って選手控え室まで走った。若かったな...。バスの中で『好きです札幌』大合唱だったの、いつだっけ?

長野五輪、個人ラージヒル。前哨戦の札幌で勝ったヴィドが1本目をトップで折り返す。これは持ってかれる、誰もがそう思っただろう。そして2本目、たったの0.1点差でメダルを逃す。1本目2位だった岡部も6位まで下げた。1本目のトップ3のとき2本目は追い風だったのだ。

2001年のリップブルガーさんの事故死。ショックから立ち直れずラハティWMから途中帰国。「彼のことは未だによく考えるよ。コーチの中でも彼には一番感銘を受けた。というのは彼は若手−当時、ボクは23だった−の意見を聞いてくれる人だったから。確かにすべてを消化するには時間がかかった。でも彼の家族といいコンタクトを築けて、すばらしい友情ができたことはうれしくもある」リップブルガーさん、ステキな人だったよねぇ...

06/07、札幌の世界選手権を辞退する。「ネームバリューでボクを選ばないで。ボクよりもっとふさわしい選手がいる」彼らしいと思った。結局、シュリーレンツァウアー(2位)、モーゲンシュテルン(6位)、コフラー(10位)、ロイツル(13位)、コッホ(15位)、この上位5人に加えてイナウアー(22位)が選ばれた。試合には上の3人にコッホとロイツルを交替で使う。イナウアーに出番はなかった。このシーズンのヴィドヘルツルのひと桁順位はヴィケルスンの6位のみ。あまり、あがく人ではないと思っていたから、このとき、もう辞めちゃうのかと思った。「2008年のフライングWMが目標」そうだよね。辞めないさ...。

2007年春、手術。夏、GPのセレクションではモルギやシュリーリに負けていなかったけど、冬に備えてGPを欠場してトレーニングする。シーズン開幕。ナショナルチームから漏れる。そして、15年ぶりにジャンプ週間に選ばれなかった、1Aにも。家で迎える新年。ふつうの父親として幸せな時。ジャンプ週間総合優勝から7年経っていた。


引退を決定づけたのは、ハラホフのフライングに選出されなかったとき。最後の可能性に賭け、テストジャンパーとして現地入りするも出場機会はなかった。それでかなり気持ちが切れた。そのとき引退を口にしなかったのは、シーズン半ばで騒がせたくなかったから。それも、彼らしい。その後、フライング世界選手権にもテストジャンパーで参加。

飛ぶことはまだ楽しい。でも、そのための厳しいトレーニングを最優先するモチベーションは薄れてきている。抵抗力も落ちてきている、痛みもある。もう、いいかな...って。

ルール改正。スーツが狭くなったことは、フライトが持ち味で、どちらかというと浮力で飛んでいたヴィドヘルツルには確かに有利ではなかった。それでスタイルを変えた。体重を減らすことに躍起になっていたこともあった。BMIルールができてよかった。

エース交替? シュミットがトーマを追いやったように、いや、ヴィドヘルツルがフェットーリを追い落としたように。それが世の常だ。

引退後はシュタムスで3年間、社会教育学を学ぶ。2年前から始めたインターネットショップ "123Boese" も順調だ。コーチの資格も取る。

トップアスリートとして過ごした日々が静かに幕を閉じる。今度、会うときはコーチだね。

生涯成績

WC総合ランキング
1WC
総合
勝利
GP
06/07
33位
05/06
10位
04/05
18位
1勝
03/04
29位
1勝
02/03
13位
1勝
5勝
01/02
14位
2勝
1勝
00/01
12位
1勝
99/00
12位
7勝
2勝
98/99
17位
2勝
97/98
13位
4勝
96/97
15位
1勝
95/96
20位
1
94/95
26位
1
通算
18勝 11勝
表彰台
1 1位 2位 3位
04/05 1 2 2
03/04 2
02/03 3
01/02 3 2 2
00/01 3
99/00 7 3 4
98/99 2 2 1
97/98 4 2 1
96/97 1 1
95/96 1
18 17 14

・WC 280 戦
・通算 18勝
・表彰台 49 回















大イベントの成績
オリンピック
LH
NH
団体LH
団体NH
2006トリノ 21位 17位
2002ソルトレイクシティ 21位 24位 14位
1998長野 14位
世界選手権 WM
2005オーバーシュトドルフ 17位 25
2003ヴァルディフィエンメ 11位
5位
1999ラムザウ 12位 19位
1997トロンハイム 31位 19 4位
1995 サンダーベイ 44位 26位 6位
ジュニア世界選手権 JWM
1993ハラホフ
1994ブライテンヴァンク
フライング世界選手権
2006クルム
2004プラニッツァ 16位
2002ハラホフ 17位
2000ヴィケルスン
1998オーバーシュトドルフ 19位
1996クルム 11位
IN JAPAN
2006 札幌 WC 7+32位
2003 札幌 WC 4+2位
2003 白馬 WC 8位
2002 札幌 WC 1位
2002 白馬 WC 1位
2001 札幌 WC 4+12位
2001 白馬 WC 3+2位
2000 札幌 GP 8+24位
2000 札幌 WC 9+14位
1999 札幌 GP 1位
1998 札幌 WC 1位
1995 札幌 WC 7+35位
1994 札幌 宮様 2+3位




ヤナちゃん(99生まれ)、ノアくん(01年生まれ)、エレアちゃん(04年生まれ)、
3人のお子さんのよきパパ。

Good Luck!!!