Mario Stecher...
"Sei der, der du bist, nicht mehr und nicht weniger, aber sei es." "Sei der, der du bist, nicht mehr und nicht weniger, aber sei es." |
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とでも訳せばいいのだろうか。彼の人生のモットーだそうだ。 とにかく愛想がよく、AUTは往々にしてそうだが、お気楽そう...。それがマリオ...。純ジャンにおけるゴルディ...? でも実は、人生のモットーを見てもわかるように、わりと堅実。落ち着いているのが好き、ストレスは嫌い...。 マリオとは一緒にいて楽しいし、本来ならこちらが気を遣わなくてはいけないのだが、とにかく楽である。「最近どうよ」なんて話も気楽にできる。 覚えやすい名前。それに名字も英語読みしたらステカーとでもなるのだろうが、ほぼいつも正確にシュテヒャーと発音される。有名ってスゴイ...。 今シーズン、マリオが久々に表彰台に立ったのが、オスロだった。10年振り。得意のオスロでももう勝てないのか、そう思った、というコメントを残している。ノルディック複合史に残り、語り継がれる試合をしたオスロでさえ...。 ついに1勝もできなかったフェリックスといい、今年は、「選手としてのピークは過ぎたのかもしれない、でも、まだやるよ」という姿勢を見せる選手に関わり、アッカーマンやマンニネンといった、今がピークと思われる選手から受けるのとはまた別の感慨があった。 マリオ・シュテヒャーは日本複合陣と同じくジャンプが得意で、荻原選手ともよく争っていたから日本でも人気がある。そう16歳で最年少WC優勝。それが94年のオスロ。以来、スーパーマリオと呼ばれる。 7歳で初ジャンプ。しばらく純ジャンプと複合の両方をやっていた。その両方でいい成績を残す。14歳でシュタムスのスキーギムナジウム入学。91年Cチーム。93年Bチーム。94年ナショナルチーム。WC初参戦。初ポイントは翌年のザールフェルデンの7位。そして初表彰台が94年のオスロ(ホルメンコーレン)の優勝。 戦績を探していて見つけた。長野五輪のときの96.5m(K90)のジャンプはシャンツェレコードだった。もう破られているけど...。そのころをよく知らないのが悔やまれる。日本でそのころを知っている人が今でもマリオのファンなんでしょうね...。 |
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−日本は好き? −日本は好き? −日本は好き? −う〜ん、せかせかしすぎてる。 オーストリア訛りのドイツ語...暖かい喋り口調でそう言う。 |
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いつも(タイミングとして)黄色、ときに赤でも信号に突入していたチームのバスの運転手さん。札幌ではそう珍しいことではない。道外の人は最初は驚きます。引っ越してきて間もないころ、知人に言われました、黄色で止まると追突されかねないから気をつけて、と。マリオ:「彼っていつも突っ込むよね。オーストリアであれをやると、少ししたら、ステキな写真が送られてくるよ」とウインク。要するにオービスで違反の証拠写真を撮られてそれが送られて来るということ。 | ||||||||
−日本は好き? −日本は好き?
この変更はジャンプが得意な日本人を勝たせないためではないか、という意見をよく聞く。確かにルール変更のきっかけは他の選手が戦意を失うほどの日本選手の連戦連勝だったかもしれない。 これではクロカン得意な選手に有利になり、それで複合競技と言えるのか、とまで言う人もいる。でもそれは、複合競技はジャンプだけでは勝てなくなった、ということだ。走りが得意な選手たちがジャンプの腕を上げてきた。苦手な部分である程度までいけないと勝負に加われない、ということだ。今も昔も、前半を終了して勝機がないとわかると後半は棄権する選手もいるぐらいだから。 マリオの伝説のオスロの初優勝(未だに彼の最年少優勝記録は破られていない)は4分の差を持ってクロスカントリーをスタートしたと言うから、当時のルールでは36点差、だったのだろう。飛型点を度外視して単純に考えると30m差(1本につき15m。マリオがK点120mを飛んだとして、2位の選手が105m。複合ならあり得る)。これを今のルールに当てはめると2.4分差になる。勝てていたかどうか...。 ルールというのは昨今は競技をおもしろくするために作られる。変更はマリオを始め、ジャンプ(だけが)得意な選手には厳しくなったかもしれないが、クロカンを接戦にするためではあっても、ジャンプ得意な選手を勝てなくするためではないのでは、と思う...。まぁ、ジャンプ得意な選手に有利と言われるマススタートでマンニネンが2勝もしたり、フェリックスがクロスで10人抜き、20人抜きしても、表彰台に届くのがやっとだったりといろいろですが。 TV映りもある。カメラの前を1人通過して、しばらく雪景色。手持ちぶさたに選手の戦歴など紹介するアナウンサー...。それじゃあチャンネルをまわされちゃう...。 それに現に高橋大斗はクロスの力を上げて勝てたではないか...。 目標は2005年オーバーシュトドルフ世界選手権での表彰台。 |
season | WC overall | Sapporo 2nd | WC winner |
93/94 | 16th | Holmenkokelen 1位 | Ogiwara |
94/95 | 19th | Sapporo 2nd | Ogiwara |
95/96 | 10th | Murau 1位 | Apeland |
96/97 | 14th | AUTジュニア選手権 純ジャンプ 2位 WC3勝(Hakuba, St.Moritz, Oberwiesenthal) |
Lajunen |
97/98 | 12nd | AUT選手権 純ジャンプ ラージ3位、ノーマル4位 WC2勝(Falun, Steamboart Springs) |
Vik |
98/99 | 16th | Sapporo 2位 | Vik |
99/00 | 18th | Sapporo 3位 十字靱帯裂傷、手術 | Lajunen |
00/01 | 42th | Sapporo 13位 apporo 2nd | Gottwald |
01/02 | 17th | Berchtesgaden, Ramsau 1位(GP))nd | Ackermann |
02/03 | 17th | 1Sapporo 2nd | Ackermann |
03/04 | 13th | 1Sapporo 2nd | Manninen |
オリンピック | indivi. | sprint | team |
98長野 | 8th | 02 | 4th |
02ソルトレイクシティ | 6th | 11th | 3rd |
世界選手権 WM | |||
95サンダーベイ | 32nd | 3rd | 3rd |
97トロンハイム | 0−2 | 02 | 3rd |
99ラムザウ | 7th | 2nd | 7th |
01ラハティ | 0−2 | 0−2 | 2nd |
ジュニア世界選手権 JWM | |||
94ブライテンヴァンク | 1st | 02 | 3rd |
95イリヴァーレ | 2nd | 02 | 1st |
96アシアゴ | 3rd | 02 | 1st |
97キャンモア | 3rd | 3rd | 3rd |