世・界・選・手・権・札・幌・大・会
|
|
Felix
|
最長不倒
|
T1 |
1 |
117.0m |
127.5m(リアン) |
|
2 |
119.5m |
137.5m(キルヒ) |
|
3 |
120.0m |
132.0m(アンシ) |
T3 |
1 |
111.0m |
128.5m(キルヒ) |
|
2 |
121.5m |
136.5m(リアン) |
ス・プ・リ・ン・ト HS134/1.857km×4周
キルヒがジャンプの調子がいい。ハンヌはジャンプがとくにいいわけでもないのに、非常に余裕。フェリックスはどことなく疲れた顔をしている。決意の表情なのか。そういえば札幌では勝ったことないんだった...。 スプリント。前半終わって52秒差の10位。1位はキルヒ。マグ(47秒差)、ハンヌ(49秒差)と一緒に上がっていって、表彰台に届くかどうか...。もしテレマークしてれば18点オールとしてあと3.5点稼げる。タイム差にして15秒。52-15=37秒差だったら表彰台、だったかなぁ。と、たら、ればの計算をしてても虚しいだけなので、現実に戻る...。後半は札幌ドーム。みんなでワイワイ見学したのは2004年...。AUTはドームで走ることにやけに積極的だったよね...。2周終わって1位は依然としてキルヒ。2位集団がアンシ、ハンヌ、マグ、フェリックス。その後ろ、6位集団がアッカー、ダヴィット、ラウート、ペッテル。最終周でハンヌがスパート。ついていったのはマグだけ。2人はキルヒに追いつき、追い抜く。なぜそこに加われなかったのか...。結果は5位。いいよね、ドーピングには行かなくていいし、一応、表彰はしてもらえるし...
団・体・戦 HS134/4×5km
前半ジャンプでリードしておきたいAUT。風が、言うまいと思うけど、なぜこうもついてないの...。1本目4位で折り返す。今季唯一のWCの団体戦を見てもわかる。あれくらいリードして2位。後半のオーダーはとくにサプライズもなく、ビーレス、ダーヴィット、マリオ、そしてアンカー、フェリックス。アンカー勝負になってマグに競り負ける。無念。AUTに足りなかったのはクロメチェックとフェルダー。
個・人・グ・ン・ダ・ー・セ・ン HS100/15km
|
|
Felix
|
最長不倒
|
T5 |
1 |
88.5m |
93.5m(ビーレス) |
|
2 |
86.0m |
94.0m(ビーレス/ペッテル) |
T6 |
1 |
89.5m |
97.0m(リアン) |
T7 |
1 |
86.0m |
96.5m(ビーレス) |
|
2 |
90.0m |
100.0m(ジェイソン) |
|
3 |
87.0m |
97.0m(ビーレス) |
え〜と...あとがないです。 前半2:35差の17位。1位はジェイソン。練習から宮の森で好調だったアッカー、雄叫びを挙げるほど会心のジャンプで5位、0:34差。NHは1mにつき2点、しかも2本だからジャンプの差は広がることになる。その代わりクロカンが倍なので追いつくのに充分な距離がある。2:35差、微妙だ...2分差以内に抑えたかった...。2位になったデモンと3位のアンシは接戦だったけど、その後ろはそれぞれ差があった。さすがのハンヌも3:20差では表彰台には届かず。勝ったアッカーは、スプリントのあと、団体戦はジャンプも悪くなく走れていたけれど、まさか個人戦でメダルに絡んでくるとは思わなかった。それだけ力が均衡していて、誰もにチャンスがあったということだろう。フェリックス、「長年のライバル、ロニーには心からお祝いを言う」とコメントしている。クロカン三傑といえば、マンニネン、ハーゼナイ、ゴットヴァルトだが(最近はマグね)、フェリックスがWC総合優勝した次のシーズンとその次のシーズンはアッカーマンが総合優勝し、フェリックスはどちらも2位。まさに、一番いいときを競い合ってきた感は強い。
|
待ちに待ったWM、そして日本での最後の試合は静かに幕を閉じた。 遺恨があるわけではない。 でも、反芻するにはあまりにも苦い...。
...反芻? まぁ、思い起こせばいろいろと、楽しかったことの方が多い。 ありがとね。
「また、会おうぜッ!!」 いつか、どこかで。
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生・涯・成・績
WC総合ランキング
1 |
WC総合 |
Sprint |
勝利 |
勝った場所... |
06/07 |
15th |
13rd |
2勝 |
Oberstdorf, Seefeld |
05/06 |
17th |
18th |
1勝 |
Ruhpolding |
04/05 |
13rd |
14th |
1勝 |
Pragelato |
03/04 |
14th |
18th |
|
|
02/03 |
12nd |
12nd |
4勝 |
Lahti, Oslo, Chaux-Neuve, Oberhof |
01/02 |
12nd |
13rd |
6勝 |
Ramsau, Val di Fiemme, Schonach, Oberwiesenthal
Steamboat Springs, Zakopane |
00/01 |
11st |
11st |
6勝 |
Kuopio×2, Park city, Nayoro, Oslo×2 |
99/00 |
17th |
12nd |
|
|
98/99 |
14th |
16th |
|
|
97/98 |
13rd |
42th |
|
|
96/97 |
18th |
17th |
|
|
95/96 |
16th |
17th |
1 |
|
94/95 |
21th |
13th |
1 |
|
93/94 |
37th |
10th |
|
|
92/93 |
33th |
19th |
|
|
表彰台
1 |
1st |
2nd |
3rd |
06/07 |
2 |
3 |
|
05/06 |
1 |
1 |
2 |
04/05 |
1 |
1 |
2 |
03/04 |
|
5 |
1 |
02/03 |
4 |
2 |
|
01/02 |
6 |
2 |
3 |
00/01 |
6 |
3 |
2 |
99/00 |
|
|
1 |
98/99 |
|
1 |
4 |
97/98 |
|
1 |
1 |
|
20 |
19 |
16 |
・WC 171 戦 ・通算 20勝 ・表彰台 55 回 ・トップ10 125 回
ビッグイベントの成績
1 |
個人戦 |
スプリント
|
チーム |
07 札幌WM |
5th
|
5th
|
4th
|
06 トリノ五輪 |
銀
|
金
|
金
|
05 オーバーシュトドルフWM |
銅
|
11th
|
銅
|
03 ヴァルディフィエンメWM |
銀
|
銅
|
金
|
02 ソルトレイクシティ五輪 |
銅
|
銅
|
銅
|
01 ラハティWM |
銅
|
8th
|
銅
|
99 ラムザウWM |
7th
|
26th
|
7th
|
98 長野五輪 |
21st
|
−
|
4th
|
97 トロンハイムWM |
10th
|
−
|
銅
|
94 リレハンメル五輪 |
37th
|
−
|
9th
|
IN JAPAN
98 |
札幌 |
IG |
9th |
00 |
野沢 |
S |
28th |
00 |
札幌 |
IG |
7th |
01 |
名寄 |
M |
1st |
01 |
札幌 |
IG |
3rd |
03 |
白馬 |
IG |
4th |
03 |
札幌 |
M |
10th |
04 |
名寄 |
IG |
6th |
04 |
札幌 |
M |
5th |
04 |
札幌 |
S |
13th |
06 |
札幌 |
M |
9th |
06 |
札幌 |
S |
9th |
|
クライマックスの向こう側...
05/06シーズン雑感
トリノ五輪で金メダルを獲って、 今季で引退するかもしれないと聞いてもそれほど動揺しなかったのは、 少なくとも札幌ファイナルには来るでしょと思っていたからかもしれない。 でも、かといって、会って何か言えたかというと、 「辞めるの?」とも聞けず、もちろん「辞めないで」とも言えなかった。 結局、引退なんて本人が決めることだから。
2006/05/01
|
トリノ五輪を金メダルという最高の形で終え、あと6戦、昨季のように総合で表彰台に上れる余地はあった、少なくともラハティまでは。五輪前、ゼーフェルトのグンダーセンで4位になって総合で6位から4位に。ラハティのグンダーセンでは前半ジャンプ27位から後半トップタイムで3位、総合で3位。スプリントでは40位からトップタイムで17位でスプリント総合5位。いかんせん、ジャンプがね...。それでも、これでもかというほどの走りで、それなりの順位を持ってくる。オスロのグンダーセンでは40位からトップタイムで11位、スプリントは35位からトップタイムで9位で総合6位。5位ヘティッヒとは3点差、4位とは82点差、3位とは108点差。しかも4位のモアンと3位のキルヒアイゼンはどちらも好調。札幌の結果を待たずして総合表彰台の希望はほぼ潰えていた。
シーズン最終戦--もっと緊張感があるかと思いきや、総合上位は順位こそ確定していなかったけど、そこに下から入り込む隙はほとんどなく、その上、よくないコンディション。がんばっても総合では大差ない選手たちのモチベーションはいくばくのものだったのか。すでに総合優勝を決めているマンニネン、そして総合順位を上げられるかもしれないモアン、キルヒアイゼン、タンデほか数名を除いてはわりとまったりとした展開だった。AUTにとって札幌は単なるハワイへのストップオーバーにすぎなかったの...? 総合の表彰に1人もいないというはちょっと寂しい。五輪で力を出し尽くしたか。
チームは最初のクロカン練習をパス。今季でヘッドコーチを辞めたらゴルフクラブのマネージャーになるというクロメチェックはゴルフの打ちっ放しへ。午前中、フェリックスは数人のチームメートと筋トレに行く。一緒に行ったドイツチームがもう帰るというとき、フェリックスだけが一人残ってトレーニングを続けたという。会場へ向かうバスに乗るのも最初の方。レース以外でリスクは犯さない。静かだけれどその深く強い集中の中に入り込む余地はない。
マススタートの走りを見てアナウンサー氏曰く「金メダルの自信に満ちた走り」。どちらかというとその逆で、この走りだから金メダルが獲れたと思う。確かに脂がのりきったというか、走りは完成されている。トリノの個人戦でもフェリックスにモアンかハンヌか誰かがついていければ、ヘティッヒの金はなかったかもしれない--まぁ、とにかく、一番でゴールに入るのを見るのはいいですね。2戦目のスプリント。30位スタートだったから、文字通り、1人抜く毎にこの日の順位は上がり、WCポイントも加算されていく。4位スタートした総合4位のタンデとは73点差。2位以上にならなければ総合での逆転は不可能だった。たったの8点差の6位ヘティッヒは2位スタート。ヘティッヒとは2:07差、タンデとは2:19差。7.5km。5位は守りたい...。結局、タンデは3位表彰台、ヘティッヒは6位、フェリックス9位。ヘティッヒとのタイム差は2秒もなかった。あと少し飛んでいれば...! そもそもスプリントに替わらなければもっといけたかも...。総合8位だったラミィシャプイが優勝して5位まで順位を上げ、その結果5位を守るどころか7位まで後退した。
今季最後のWCは現役最後のWCになるかもしれないというのに...
きっと辞めないと思う--五輪が終わって、辞めるかも、と聞いてから札幌までそう思っていた、ただなんとなく。札幌の会見で「来年は続けるかわからないが...」と引退について聞いたのではない質問の端に言う。「まだ、わかんないんだ...」と思う。記者は誰一人、突っ込まない。お〜い!スルーするな〜!「続けないんですか?」って誰か聞いて!
できればこんなふうに終わってほしくなかった。来季につながる結果であってほしかった。総合7位、スプリント8位はここ数年で最悪の結果。辞めようかという気持ちに拍車をかけることになりはしないか、鈍い焦り。その一方で、試合に臨むあの姿勢、あの集中力。もう気力がないとはとても思えない。いや、かえって、きれいにまとまった方が悔いなく辞めてしまうか?
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"Wenn ich das Feeling habe, dann werde ich noch ein Jahr anhaengen." --もし気持ちがあれば、あと1年続けるだろう。
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金メダルを獲った直後のインタビューで:金メダルを獲ってもうやることなくなっちゃったって感じはない、まだまだハングリーだし、飛ぶのも走るのも練習も好き。でも早まった結論も出したくない。ゆっくり考える。
辞める理由と辞めない理由を考えてみる。引退に心が動く一番の理由は何か? 五輪で個人金メダルを獲って目標を達成。もうやり残したことはない。これを花道にいい形で幕を引くという勇退説。目標に手が届いた=ゴールに到達した=終わりということ...?! やりきったから、というのが引退の理由だとしたら、シーズンが終わって悩むこともないだろう。総合優勝したシーズンのラハティ世界選手権でもソルトレイク五輪でも最有力金メダル候補だった。でも獲れなかった。トリノが最後の五輪と公言していた。では、個人金メダルを獲れていなかったら、引退話は出ていなかっただろうか? 獲るまでやるとか?! 限界説。ラムザウでクロカンを途中棄権。始めからハンヌを追うばかりで自分のレースではなかった。早く自分のペースに戻れと悟性は言う。でも、絶対、ちぎれたくなくてペースを落とせなかった。その結果、棄権。冷酷な現実。オーバーホフでは「おい、どれだけトップと離れてるんだ」と思ったという。それでも昨季に続いて1勝してもいる。
モチベーションの欠如、いや消滅--辞めていく選手はよくそれを口にした。例えばヤニ・ソイニネン。朝、起きて、トレーニングメニューをこなす気が起きない。とりあえずチームと別メニューにしてもらう。ついに開幕までモチベーションは復活しなかった。ゴルディしかり。休暇が終わっても全然、飛びたくならなかった。後進に道を譲るにはいい時期という考えもあった。荻原健司氏。00年、引退するか否かの会見で現役続行を表明。良くも悪くも挑戦することが必要だと結論し、現役を続ける道を選んだ。その2年後、シーズン後、将来に向けた新しい目標、意欲が見つからず、競技の現場からは外れるべき、と引退を決意した。さて、フェリックスは...?
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ビール飲み過ぎだと思う、顔、真っ赤だし。
「札幌はこれが最後...?」 やっと聞いた。 「ううん、来年、来るよ」 即答だった。よし、その言葉、信じる、そう思った。
思ったけど、正式発表があるまでは気が気じゃなかった。
"Anfangs war ich hin und her gerissen,
wie wohl meine Entscheidung ausfallen werde." --最初、心は千々に乱れた、どう決断を下したらいいかと。
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と彼のHPにはある。揺れていたのだろう、私が、みんなが、「辞めちゃうかも...いや、続けるはず」と揺れていたように...。雨のワイキキの浜辺を走りながら考えた。自分の一番したいことは何か。トレーニングも試合もまだやりたい。向上心もある。だから少なくともあと1年は続けることを決めたという。
このニュースを聞いた日は最良の日に思えた。もしかしたら金メダルを獲った日よりも。
アスリートなら、すべてのプライオリティは競技にある。それが自分の中で何1つ変わっていないとわかったのだろう。競技中心の生活を終わらせよう、終わらせたいとは思わなかったのだろう。
アスリートであることに思いを馳せてみる。シーズンに向けて仕上げるのがいかに大変なことか。フェルダージャンプコーチは言った、フェリックスがどんなに金メダルにふさわしい選手か。彼のトレーニングを見たらいいと、それはすごいのだと。数週間の合宿や特訓だけではない。風邪をひいても薬を飲まないことや栄養補助食品を一切摂らないということにも現れている。アスリートでありながら自然体。そうして完璧に仕上げても、一瞬の転倒でシーズンを棒に振ることもあれば、まったく無病というのもありえない。トリノのNORチームしかり、マンニネンしかり...。本当にトリノでは健康であることの大切さを思い知らされた。
アスリートはアスリートであるために何かを犠牲にし、1年の大半を競技に捧げる。暴飲暴食しないとか、夜遊びしないとか...。勝つために、ベストパフォーマンスのために。 それに我慢できなくなったときが引退のときとも言われる。でも、ふと思う、彼はきっと何も犠牲になんかしていないだろうと。競技よりも優先したいことなんてないのかもしれない。アスリートであることは彼にとってはごく普通のこと。もちろんアスリートじゃない人生とはまるでちがっているだろうけど。
来季はWC総合でトップ10に入って10度目のシーズン。総合を狙うのか、世界選手権に狙いを絞るのか、WMの個人金もまだ獲ってないから。最後の世界選手権が札幌か...。
|
来季が最後と決まったわけではない...。
|
2005/2006
|
|
|
|
SJ
|
CC
|
|
overall |
sprint |
I
|
11/25 |
Kuusamo |
Gun. |
16th |
6th |
6th |
6th |
|
11/27 |
Sprint |
23rd
|
3rd |
6thrd |
6th |
6th |
12/03 |
Lillehammer |
Gun. |
22nd |
2nd |
2ndd |
2ndd |
|
12/04 |
Sprint |
25th
|
6th |
8thd |
2ndd |
8th |
12/17 |
Ramsau |
Mass* |
|
DNF |
|
5th |
|
12/18 |
Sprint |
22nd |
6thr |
22nd |
7th |
10th |
II
|
12/30 |
0berhof |
Gun. |
37th |
6th |
21st |
8th |
|
01/03 |
Ruhpolding |
Sprint |
19th
|
1st |
1st |
5th |
5th |
01/06 |
Schonach |
Gun. |
17th |
2nd |
4th |
5th |
|
01/14 |
Val di Fiemme |
Mass* |
22nd |
3rd |
15th |
6th |
|
01/15 |
Sprint |
11th |
2nd |
3rd |
6th |
3rd |
01/21 |
Harrachov |
Sprint |
DNS |
7th |
4th |
01/22 |
Gun. |
7th |
|
01/28 |
Seefeld |
Sprint |
24th |
2nd |
7th2 |
6th |
5th2 |
01/29 |
Gun. |
12th |
1st |
4th |
4th |
|
O
W
G
|
02/11 |
Torino |
Ind. |
11th |
2nd |
silver |
|
|
02/15 |
Team |
2nd |
1st |
gold |
|
|
02/21 |
Sprint |
12nd |
1st |
gold |
|
|
III
|
03/04 |
Lahti |
Gun. |
27th |
1st |
3rd2 |
3rd2 |
|
03/05 |
Sprint |
40th |
1st |
17th2 |
5th2 |
7th22 |
03/11 |
Oslo |
Gun. |
40th |
1st |
11th2 |
5th2 |
|
03/12 |
Sprint |
35th |
1st |
9th2 |
6th22 |
7th2 |
03/18 |
Sapporo |
Mass* |
27th2 |
1st |
9th2 |
5th |
|
03/19 |
Sprint |
30th |
1st |
9th2 |
7th2 |
8th |
*Mass startは前半クロスカントリー、後半ジャンプ
7回連続(WC)クロストップタイムというのもスゴイが、ジャンプの順位が典型で、 裏を返せば、ジャンプがもっと飛べれば、トップタイムで走る必要もないのかも...。 来季、元純ジャンパーの新ヘッドコーチのもと、ジャンプが好転すればいいと思う。
|
◇
出会えた幸運。
□2004/05/21 UP □
Copyright:Jumping World
|
フェリックス・ゴットヴァルト:1976年1月13日生まれ 179cm 67kg
Gottとはgod、Waldはforest、つまり、神森という名字。 ファーストネームのFelixはラテン語でハッピーとかラッキーという意味らしい。 うしろで深刻な顔をしているのはNORのタンデ。札幌ドームのダッグアウトにて。
|
典型的オーストリア人、なのか...?!
純ジャンプのところでも触れたが、同じドイツ語をしゃべる人種でもオーストリア人はドイツ人よりも陽気でそして軽い。もちろん個人差はある。それが好きかというと、ビミョウだった。そりゃあ楽で楽しいけど。ゴットヴァルト--純ジャン、コンバインドを通じて初のAUT人のピックアップです。
数年前までアタッシェがチーム担当制だったころ、ドイツを担当することが多かった。だからロニーを始め、ドイツの選手、コーチには話を聞いたことがあるが、AUTはジャンプコーチのフェルダー以外にはインタビューしたことがない。彼はドイツにいたこともあるしね。
|
初めてフェリックスに会ったのは、彼が一番強かったとき。一般的に選手のピークと言われる25,6歳(そうマリオが言った)のとき。男前で、感じがよくて、強い、超二枚目キャラ。実はご多分に漏れず明るさ満載のAUT人でもあるのだが。もし『男前複合選手ランキング』というのがあったらトップ3に入るかも (あとの2人は誰...)?! それでも担当選手に情が移る根が単純な性格ゆえ、よそのチームの選手でしかなかったのかもしれない。 |
99/00。アッカーマンはまだコンスタントに勝てる選手ではなかった。現AUTのジャンプコーチ、アンドレアス・フェルダーがドイツのジャンプコーチをしていた。この年、札幌で優勝したのはNORのハマー。ドイツではすでに引退したダイメルの4位が最高。フェリックスは野沢のスプリントで28位、札幌で7位。このときはまだ荻原健司もヴィークも現役だった。 |
念願のWC初優勝、そして総合優勝。
フェリックスが総合優勝した00/01シーズン。WCデビューから9シーズン目のこの年の開幕戦、クオピオで初優勝を果たす。97/98:総合3位、98/99:総合4位、99/00:総合7位とここ数年続けてトップ10入り。なのに意外なことにまだ勝ちはなかった。--なぜ勝てなかったのか?! 「機が熟さなかったのかも」というのが本人の弁。そして熟すまで練習を怠ってはいけないと。
このシーズン、名寄で初の複合WCが開催された。チーム付ではなかったので、あまり思い出はないのだが、唯一にしてかなり鮮明に記憶に残っているのがフェリックスが勝ったこと。4勝目。彼は走りの速い選手として定評があったが、ジャンプ得意の選手に有利とされるマススタートでの優勝だった。 ゴール間際で転び(なぜかよくあるロドウィックとの交錯)、4位ゴール。それでもジャンプ1本目でトップに立つと、そのまま勝つ。表彰が終わって、ほとんどの選手が宿に引き上げてしまったあと、ジャッジタワーでの仕事を終え1人さびしく帰ろうとしたら、フェリックスがスキーを手に歩いてきた。「おめでとう!」と言うと、エクボを作り、こぼれんばかりの笑顔で「Danke!!」と答えるフェリックス。なんとまぁ爽やかなこと...。このとき、誰かに似てると思う-- そうトム・クルーズ...。札幌では昨年同様、NORのハマーの優勝。フェリックス3位。 最有力優勝候補として臨んだラハティWMでは銅メダルに終わるが、オスロのWC最終戦を2連勝して最高のシーズンを締めくくる。
01/02。シーズン当初はライバル、アッカーマンの方がよかったが、誕生日に地元ラムザウで勝ち、総合トップを奪い、ソルトレイク五輪へ。誰もが彼に金メダルを期待した。が、ジャンプ台との愛称が悪かった。銅メダル3つ。頬に国旗のペインティングをしたGERチーム、おそろいのバンダナをしたAUTチーム。複合選手のそういうところが好き。 五輪後、調子は下降線をたどり、WC総合連覇ならず。
|
そして記憶に新しい2003年。第1ピリオドは得意のクロカンでどうあっても逆転できないほどジャンプが良くなかった。踏み切りに問題があった。年明け、アッカーマンの地元、オーバーホフで優勝。 このシーズンは日本では純ジャンプと同時開催。それまで勝ちがなかったアッカーマンが白馬、札幌と連覇。白馬でフェリックスは4位。札幌はマススタート。フェリックス、クロスを終えて2位。1位サンパとは0.5点差。-- 勝ってもいい、一昨年のように。ロニーとは1.5点差。しかしロニーが4位から優勝。2位ヘティッヒ、3位サンパ。フェリックス、10位まで順位を下げた。全4勝。 |
心やさしき、一流アスリート。
03/04。勝てないなぁ〜と思う。イヤ、最初はロニーが強すぎた。ライントイムヴィンクルで、またトッドと接触。手首骨折。
日本シリーズ。1週間の交流がこのポートレートを書くきっかけになる。 さすがWCチャンピオン、チームの中で一番"アスリート"してる。名寄では空いた和室でストレッチとマッサージ。バスが少し動かないと気持ちは練習に逸るようでバスを降りて歩く。どんなに仲のいいチームでもやはり個人競技で、それぞれの選手の集中の仕方など見せられると、普段のおちゃらけキャラとは別人で。結局、自分を仕上げていくのは自分しかないのだし。うまく言えないけど、まぁ、簡単に言うと、思ったよりも努力家というか。--試合のときは、実践練習というのもあるけど、いわゆる体を作るトレーニングはしない。だから彼らの鍛える姿というのはふつうあまり見られない。例えばチームでバレーボールをしたりはするけど、それ以外にロードワークに行くも行かないも個人の自由。日本まで来て走るか走らないか。でもそこが一流選手との差だったりもする。
何かを考えているようでもあった。そりゃあうまくいかなければ考えもするだろう。心の中で「がんばれ!」と思う。それと同時に「無理しないで」とも思う。そんなことを思ってアップを見ているとふと顔を上げた彼と目が合う。恥ずかしい...ごめん、邪魔だよね、と思うと微笑まれた--大丈夫、と見透かされてるみたい。この感じはロニーにはない。それはロニーが今がピークの選手だからなのか。大斗くんに負けたラハティのスプリントの試合などを見ると、普通に勝っていたころなら、焦って(いたかどうかはわからないけど)仕掛ける必要もなかっただろうと思うし、あの状況なら勝てていたはずとも思う。まぁ、それだけ大斗が強くなったということだ。ジャンプの調子が戻れば、もう少し楽なのだろうけどね。 |
最後の日、サヨナラの挨拶をする。「明日は来ないの?」と言う。「あっ、起きれないからだ」--彼らは千歳で朝イチの飛行機に乗る。そう言えば、あくびをしながら「おはよう」と言って笑われたこともあったっけ。確かに低血圧です、朝は強くはないです、でも遅刻はしないよ、絶対に。「また来年」と握手する。思ったよりも緩やかな手の握り返しにふと気づく...。「あれ? 手はもうだいじょうぶ?」「そっちの手じゃないし」ああ、左手だったか。でも名寄では巻かれていた包帯はとれていた。ふと、なぜかもう会えない気がして。「うん、来年ね」ちょっぴりしんみり別れたはずだったのに、そのあとこの日のうちに何度も会い、おかしくて笑い合う。「もう1年経ったの?!」 |
ジャンプは苦手...
フェリックスが初めてスキーを履いたのはかなり小さなころだったと言う。彼が生まれたときすでに、お父さんは彼を地元ゼーフェルトのスキークラブのメンバーにしたというから。 昔から走るのは速かった。88年、今は亡きお父さんに連れられ(99年没)、地元開催のJWMを見て本格的にスキーをやろうと決心する。そしてシュタムスのスキーギムナジウム入学、複合競技を勧められる。ジャンプを始めたのもこのころ、13歳と、かなり遅いスタートだ(ちなみにアッカーマンやシュテヒャーは7歳で、ラユネンは9歳でジャンプを始めている)。複合でジャンプかクロスのどちかがが秀でている選手はたいがい始めてからの年数の違いであるという。もっともクロスで結果が出るには時間がかかり、ジャンプはある日突然、飛べるようになるということもあるらしいが。フェリックス、ジャンプを始めた年に怪我をして、それが長年のトラウマに。いくらいい走者でもジャンプでのビハインドが大きすぎた。
転機が訪れたのがまさにWC総合優勝した00/01シーズン。ドイツでジャンプコーチをしていた往年のジャンパー、アンドレアス・フェルダー(WC通算25勝。これはニュカネン、ヴァイスフロークに継ぐ歴代3位)がAUTに戻り、複合のジャンプコーチに就任、フェリックスのジャンプが一変。フェルダーのお陰だけではないが、ジャンプに対する考えが変わったのは確からしい。かなり自由度の高いジャンプで、一か八かではなく、失敗してもある程度距離の行くジャンプというのを覚える。
それにこのシーズン、ジャンプ点のクロカンスタート時の時間差への換算ルールが変わったのも(リレハンメル五輪以前は9点で1分、以降が10点1分、2000年から12点1分、02/03からは15点に)追い風(ジャンプの選手には向かい風、と言うべき?)になったのかもしれない。このシーズン6勝している。現在通算16勝。03年のラハティを最後に勝っていない。
2004年、最終戦ラハティを終えてのコメント: 「今シーズンは勝てなかったけど、自分にとってまだ競技はおもしろい」 連覇ではなく、1度優勝して再度優勝したのは下の表でわかるようにサンパしかいない。 28歳。引退するにはまだ早い。
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