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Photo:Ingo Peters
Special thanks:Peter Anacker
これまで自分の中でプライオリティはどうしても純ジャンプにあった。
それは注目度の問題でもないし、仕事の内容でもない...。
強いて言えば、純ジャンパーとより深く関わっていたから、だろうか...。
コンバインドチームは、とてもナチュラルで一生懸命でサラッとしていて...みんな一流なのに、
別にスターでもなく、スポーツってこういうものだ、と思わされる。
それで最近、プライオリティが逆転しつつある...。
一番頭に来ることは、待たされることではなくて、試合がなくなることと言うロニー・アッカーマン。
勝ち気で素朴で憎めないこのおニイちゃんに今後も注目したい。

02/03シーズン、オスロ。2戦を残してアッカーマンはワールドカップ総合2連覇を決めた。
若干19歳のチームメート、ビヨルン・キルヒアイゼンがシーズン当初、3連勝したのにひきかえ、アッカーマンは第12戦の白馬までなかな勝てなかった。2位が5回...。
--チームの後輩に勝たれて、焦らなかった?
「いや問題ない。表彰台には上がっていたし。常に2位、3位って安定している証拠でしょ」
しかし内心おだやかではなかったはずとコーチは見ている。
「ヤツはチームに入って以来、ず〜っと1番だったからね」
総合成績では問題ない。でも「なんでオレじゃなくて、アイツなんだ」っていうのは絶対あったはずだ。

無頓着で、自信家で...。かなりわかりやすい人間と見た。
なかなか勝てなかったロニーが突如として日本で2連勝した。時差ボケとか関係ないタイプでしょ? 乳酸とか溜まりにくいタイプにちがいない... (確認したわけではない)。
とにかく彼にとって日本がツイている場所になるならうれしい。
札幌ではただ1人安定していた。フェリックスはいまだにジャンプの調子が悪く、サンパは「オオクラは苦手」と言っていた。00、01と札幌を制しているハマーも今年は今イチだ。最後までロニーを脅かしたのはチームメートのヘティッヒだった。マススタートは彼の初優勝のチャンスだったが...。12時間にも及ぶ死闘を征したのはやはりロニーだった。
「ロニーはいい加減なヤツだった」
ヴァインブーフヘッドコーチは言った。
「昔はね...。練習嫌いだった」
ではWCで総合優勝するまでになるのに、一体何が転機だったのだろう?

5歳でスキー、7歳でジャンプを始める。13歳までは純ジャンプとコンバインドの両方をやっていたが、14歳でコンバインド1本に絞る。理由はリスクの大きいジャンプと肉体的にキツいクロスカントリーのコントラストに興味を覚えたから。

学校、ジュニアとすべて順調で、労せずしてナショナルチーム入り。練習をして何になる? 彼は目標を持ってひたむきに努力することができなかった。
その後も、そのまま行けると思っていた。95/96、18歳でWC初参戦。99年、シーズン開幕のヴォカッティで初優勝するまで4年かかっている。「今日のように走って飛べば、常に5位以内には入れる。あとのその日の調子で決まる」
やっとモチベーションを見つける。

左からヴァインブーフヘッドコーチ、シュミット、ダイメル(引退)、アッカーマン、ヘティッヒ。
これは3年も前の素人写真ではあるが、ロニー、顔、変わったよね...
3年ほど前にも、ヴァインブーフコーチにインタビューしたことがある。中継担当のTVhは選手1人1人に熱心な取材を行った。
アッカーマンはすでに勝てる選手だったが、今のようにチーム全体が強くはなかった(長野団体6位、ラムサウWM団体6位)。とりあえず優勝を期待できるのはアッカーマンしかいなかった。
ドイツではマルティン・シュミットを巡ってジャンプブームが巻き起こっていた。
「選手には力がついてきている。ただブームを起こすには、競技をもっとポピュラーにするには、スターが必要、ケンジ・オギワラみたいな...」
90年代、荻原選手がゾロゾロと報道陣を連れて歩いているのを見てワインブーフコーチは驚いたという。
〈主な戦績〉ワールドカップ総合
1995/1996 71位
1997/1998 11位
1998/1999 23位
1999/2000 
15位
2000/2001 
12位
2001/2002 
11位
2002/2003 
11位

冬季オリンピック大会
1998年 長野 個人12位 団体6位
2002年 ソルトレイクシティ 個人4位 スプリント2位 団体2位
世界ノルディック選手権
1999年 ラムサウ
個人24位 スプリント9位 団体6位
2001年 ラハティ
個人16位 スプリント3位 団体4位
2003年 ヴァルディフィエメ
個人1位  スプリント3位 団体2位

ジュニア世界ノルディック選手権
1995年 イリヴァーレ 個人10位 団体6位
1996年 アシアゴ
ーレ 個人15位 団体6位
1995年 カルガリー
 個人10位 団体2位
ドイツ複合界は、1970年代の現FIS複合レースディレクター、ウルリッヒ・ヴェーリンク氏(旧東ドイツの選手。72年札幌五輪、76年インスブルック五輪、80年レークプラシート五輪と3大会続けて金メダル)、80年代の現ヘッドコーチ、ヘルマン・ヴァインブーフ(旧西ドイツ。WC通算8勝)の黄金期のあと、東西統一の影響もあり、不振に陥った。首脳部の誰もが主張し、システムが崩壊した。壁が崩壊した当時のことを、そのころ東独にいたハナヴァルトがのちに語っている。最初に先生やコーチが東から出ていき、選手は取り残されたのだと 。その後、うまく分業することで機能するようになり、ジュニアの育成にも力を注ぎ、現在に至る。
02/03WC総合では、アッカーマンが優勝、キルヒアイゼン3位、ヘティッヒ6位、メンツ16位、T.シュミット20位。国別では2連勝している。

03/04、アッカーマンは荻原健司とタイ記録のWC3連覇に挑戦する。スーツ以外、大きなルール変更があるとは聞いていないし、今のところ、ペーター・ローヴァインコーチを失ったこと以外、大きな変化はない。05年のドイツ、オーバーシュトドルフでの世界選手権に備えて調整のシーズンとなるようだ。


この写真とこのページ一番上の写真はアッカーマンの公式HPからのもの。
たくさんいい写真が載っていて、ユニフォームを着ているのもちゃんとあるのだが、
ページ一番上の「アルプスの麓にて」という写真が一番好き。
このV写真はアイディアとして好き。体躯がいいのでスーツもよく似合う。
でもロニーには都会的なイメージはない...。ちなみにN.Y.というタイトルです、この写真。
※写真はPeter Anackerさんに許可を得て載せています。転載はご遠慮ください。